「ベンチャー」 の由来
成長戦略としてベンチャー企業の育成と簡単に言う人がいるが本当にそんなことは可能なのか?
また日本人に本当にそのような気持ちがあるのか、私は若干疑問に思う。
先日ラジオで特集していて印象深かったのが、いわゆるベンチャー企業の社長さんには自分がベンチャーだという意識は低いとのことだ。
確かにそれほどの気概でもなければ万に一つともいえない大博打に近い生き方を日本の緩い大学生活を終えた新社会人が選ぶかといえば大分疑問。
そういった向上心がある人は、利益を追求するのではなくゲームにも似た感覚で学生起業したり退学したりするものだ。
過去の天才といわれる企業家の経歴を見ても大抵がそうである。
そういった、スタートで道を外れた人々に国がどういった基準で支援をするのか?甚だ疑問である。
ある程度の成功を収めたものには、それなりの大企業が手のひら返して擦り寄る。
それでは遅くないかい?
そういった場所に進む為のチャンスを欲しい人の為に国がどのように関わりを持つのか?
そもそも日本にそのような風土が根付くのか。
有能な学者ほど活躍の場を海外に求める日本社会でそんなこといわれてもなんの説得力も無い気がする。
■「ベンチャー」の由来
ベンチャー(venture)はそもそもアドベンチャー(adventure)からきているのだそうです。
1970年に元法政大学総長であった清成忠男さんと元専修大学教授であった中村秀一郎さんのお2人が作った和製英語だといいます。(和製英語なので外国では通用しないので悪しからず)
清成氏さんによると、ベンチャービジネスの定義は「研究開発集約的、又はデザイン開発集約的な能力発揮型の創造的新規開業企業」
現代のベンチャーの認識とは捕らえ方が若干異なりますかね。
「アドベンチャー」といわれたほうが我々の認識に近い気がします。
ただベンチャーとアドベンチャーでは、正確に言うとニュアンスが若干異なるのだそう。
生命や財産に危険が及ぶ心配のある冒険がベンチャー。
危険のあるなしにかかわらず,わくわくするような冒険のことをアドベンチャー。
つまりアドベンチャーよりベンチャーの方が断然リスクが伴います。
そういった意味でも現代人のベンチャー企業に対する考え方はアドベンチャーよりベンチャーな気がします。
でも逆にベンチャーを立ち上げた人については、やっていることはベンチャーなのに本人の気持ちはわくわくを伴ったアドベンチャーなのかもしれません。
これってなんだか不思議だけど成功なんてそんなものです。
こうしてみると終身雇用の既得権益社会である日本が生み出したガラパゴスワードのようです。
危険な旅が待っているのは確実だけど君は船に乗るかい?
日本独特の受験戦争を乗り越え、緩く大学に通う日本人があえて危険な船にのりますか?
一攫千金を夢見るより無難に官僚を目指すことでしょう。
選挙演説で面白いことを言っている人がいました。
海外の若者は日本より安価で物を作る。彼らと同じなら我々の賃金も同等である。
それが嫌なら新しい商品を開発しろといったことをです。
老人の為の政治をしていて若者の尻は叩き放題。
それが成長戦略ならすでにこの国はオワタ\(^0^)/なのかもしれないですな。
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