Photo By お年玉袋
「お年玉(おとしだま)」 の由来
貰うのは嬉しいけれど、あげるのはちと痛いお年玉。
現在のお年玉は、子供に対するお小遣いとなっていますが、じつは正月行事と深い関係があるといいます。
「お年玉」の由来
お年玉(おとしだま、御年玉)は、正月に新年を祝うために贈答される品物のこと。単に年玉(としだま)ともいう。現在では特に子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられている。年末に贈られる歳暮と異なり、目上の者が目下の者に贈るのが特徴[1]。子から親への新年祝などの場合には表書きを「お年賀(御年賀)」とする。引用元:Wikipediaより
Wikipediaにも記載されているように、現在はお年玉といえば子供にあげるお小遣いのようなものとなっていますが、お年玉とは元々はお餅だったというのです。
そもそもお正月行事というのは、新年の神様である「年神様」を家に迎え入れておもてなしをすることにその意義があります。
そのお返しに年神様は、新しい年の幸福や恵み、そして魂を分けてくれるのです。
ありがたや~ありがたや~
その魂の代わりがお餅というわけ。
鏡餅も同様に年神様の依り代、つまり宿るものと考えられています。
鏡餅には年神様の「御魂」(みたま)が宿り、この鏡餅の餅玉が年神様の御魂、その年の魂となる「年魂」です。
その年魂をあらわす餅玉を、昔は家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えたのでした。
これがお年玉の由来なのです。
「玉」は魂と考えると覚えやすいですね。
他にも年初に分配されることから、年の初めの賜物(たまもの)で「年賜(としだま)」が変化したといったという説や、鏡餅が丸いことから「お年玉」になったとする説もありますが、どれも「歳神様」に由来するそうです。
お年玉が金品に取って代わったのは、室町時代頃から。
当時は茶碗や扇といったものが贈り物として用いられたようです。
さて今年もやってまいりました。お正月。
私はというと、今年も誰にも渡さずじまいでした。
もちろんケチなせいもありますが、いまいちこの制度が好きではないからです。
子供の頃には待ち遠しい日でありましたが、大人になって冷静に考えてみると、どうにも納得のいかないことばかりだからです。
大人同士の関係もあるし、いくらあげていくら返ってきたとか考えるのも面倒だしわざわざすぐに違うもので返してよこした人もいました。
今の時代だから一人っ子もいれば大家族もいる、子供が欲しくてもできない人もいます。
目の前で「ちぇ○○円か。」な~んて言われたこと皆さんも一度や二度ありませんか?
それにいくらもらっても子供は貯金させられるだけ。
クリスマスが近いのも問題だし、誕生日がこの時期に近い子供などは悲劇です。
私の親戚関係が恵まれていないことも関係あると思いますがもう少し有意義なものにしたいものです。
唯一、これから甥っ子の家に行く予定があるのですが、くじ引きでもさせようかと考えています。
流行のカードゲームがあるそうなので、それを大量に買い込んで大きな箱にばらばらに入れて引かせるのです。
実は昨年はこの企画がこれ以上に無い盛り上がりでした。
私が帰った後に同じように仕込んで数日遊んでいたとの報告もありました。
今年は「ハズレ」を増やそうかと思っています。
テレホンカードとか名刺、肩叩き券の×ゲームも面白そうですね。
お金の記録より大切な心の記憶を残してあげたいです。
本来の意味とは違いますが、餅を食べる風習だけ忘れなければ神様もきっと許してくれることでしょう。
milk3 - 2024年8月16日, 8:10 AM
お年玉は年神様の霊魂の宿る餅であったことを示す古い文献は皆無です。実際には商売人は扱っている商品、農民は野菜、僧侶は納豆。最も一般的な物は江戸時代は扇子、明治時代には手拭いや摺り暦などでした。詳しくは『史料が語る年中行事の起原』という書物を御覧下さい。