「断末魔(だんまつま)」 の由来
よく聞くけど本当には(現実には、目の前では)聞いたことはない「断末魔の叫び」。
この言葉を調べてみると、どうやら私は勘違いをしていたことに気づきました。
「断末魔」とは状態を表す言葉で、その意味は人間が死ぬ直前の状態のことなのです。
息を引き取る瞬間そのものが「断末魔」であり、「断末魔の叫び」となると、その時に上げる声のことを表すのです。
その声は、痛みや苦しみなどからあげるものだけでなく、生に執着することからも生まれます。
これから死ぬという恐怖や、生が終わってしまうという後悔など様々な感情が含まれるのでしょう。
おそらく、その瞬間はなんの羞恥心もなく何にも束縛されることはないから、相当な痛みの、無念の、後悔の声なのであろうと予想されます。
自分はできることなら声をあげずに静かに断末魔は迎えたいものです。
しかし、その時その状況になってみないとそれは誰にも分からないものです。
私たちが安易に想像できる断末魔の叫びは、漫画やゲーム等でのそれでしょう。
悪者などが倒された後に叫び声をあげて死んでゆくあの姿です。
この場合はおそらく生への執着心であろうと考えられます。
虚しく、惨めなあの姿・・・
しかしあれが全てではないはずです。
現代の日本では死という物に触れる機会が少なくなってきています。
その原因は、病院などで痛みを取り除かれた終わり方が増えているためと考えられ、きっとそのような状態で迎えられなかった一昔前は、どこそこで「断末魔の叫び」が聞かれたのかもしれません。
ですがそのことを後々話題にするということは使者への冒涜のようにも思われ言い伝えもしなかったでしょうから、暗黙の了解としてその記憶は各々の頭から葬り去られていったのでしょうね。
■「断末魔」の由来
断末魔とは、死ぬ間際(臨終)の苦しみをあらわす仏教語からきているのだそうです。
「断」はその漢字のとおり断つことを意味するので、「末魔を断つ」というのがその形成。(マルマンを断つ=ダンマルマ=断末魔)
では末摩(末魔)とは何かというと、梵語マルマン(marman)の音写だそうで、死節(支節)などと漢訳されます。
末摩(死節)とは、これを断つと死に至るとされ体にいくつかある急所のこと。
ヨガにおいてプラーナ(気)が流れるエネルギー回路の集結地点だとも言われています。
マルマというツボが断たれる、つまりそれは死を意味するというわけです。
「断末魔」を調べてみると必ず登場するのが、漫画「北斗の拳」。
秘孔(ひこう)と呼ばれる一種のツボのようなものを押されると、肉体は気体になったかのように粉砕されます。
「あべし」「ひでぶ」といった断末魔の叫びともとれる悲鳴をあげて死んでゆくのです。
その流れからも、まさにそれが断末魔の叫びのようであり、その種類が多岐にわたることからももしかしたら作者は意図してそれを描いていたのかもしれませんね。
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