「真似(マネ)」 の由来
「真似 マネ」とは、他の人や物に似せることをいいます。
このマネは、動詞である「マネブ(学ぶ)」や「マナブ(学ぶ)と同じように「真に似せる」の意味から生まれてきたのだそうです。
最初が「ま」で始まる以外何の接点もないとおもっていた二つの言葉の意外な接点に驚きです。
ただ、「真に似せる」→マネ マネブ→マナブとなったのか「誠に習う」→「マナブ」→名詞形「マネ」 動詞形「マネブ」であったのかは分かりません
学ぶも真似も平安初期の同時期にみられだした言葉であることは間違いないようです。
ここで整理しておきたいのが、聞きなれない言葉「マネブ」。
皆さんはご存知かもしれませんが、私は初耳だったので調べてみると「マネブ」は、「マナブ」よりも学問をする意味は薄いそうで、模倣する意味で用いることが多いのだそうです。
「マネブ」は口頭語として用いられてきましたが、「真似る」が広く使われだすとその存在が薄れ、「マナブ」の雅語となったと言われています。(雅語とは洗練された上品な言葉。正しいとされる優雅な言葉のこと。)
確かに見て盗めとか、真似しながら学ぶということは大切です。
物事をすすめる最短距離であると思います。
頭で考えただけで何事もできるかと言ったらそれは間違いで、手足を動かしながら習得していく作業は世の中にたくさんあります。
例えば大学を出た人は使えないという話をよく耳にしますが、それは本当で頭の中と知識は優れていても、机から離れて現場に立つと様々な困難が待ち受けているものです。
それは計算の通りに進むような仕事(現場)はそうそうないのだからです。
だから企業に入社すると、はじめに一番裾野の広い一見雑用に見えるような現場が待っているのです。
とりあえず、自分の会社が何で利益を上げているのかを知るためです。
そこで腐ってしまう若者が多いようです。
しかし、そこで諦めてしまうとそれまで学んできたことが無駄になります。
もちろんその時は、私もそのようなことまで考えませんでした。
なぜこんな仕事をさせられるのか?自分はもっと大きな仕事を任されるべきでは?
何も分からぬ一年生が自惚れですね。
私は大きくなってから聞かされたことがあります。
それは自分の名前が当初「学 まなぶ」であったという話をです。
今の名前も特別気に入ってはいませんが、学といえばワースト3に入るくらい嫌いな名前です。
正直ほっとしています。
でもよくよく考えると、そのようにつけたいという気持ちはもしかしたら自分が(自分の血縁が)学ぶことが苦手なことからきているのかもしれないと考えるようになりました。
人の話を聞かない、わがまま勝手な血が、そのようにならないことを願って「学」の一字に表したと考えたのです。
「真面目」という表現も苦手で、そのような印象をもたれたくないという気持ちが「学ぶ嫌い」にはあります。
でも、反対に不真面目なことが好きなので、他人の物まねなどは得意分野。
真似と学ぶのルーツが一緒なら少しは「学ぶ」を受け入れられるような気がしてきました。
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