「とどのつまり」 の由来

海釣りに出かけました。
魚に目的は無く、なんとなく糸をたれて適当に魚がかかればいいといった程度なので擬似餌でなく定番の仕掛けに生の餌をつけて投げて待つ。待つ。待つ。
そんなのんびりした時間にたまには浸りたくなるのは疲れている証拠なのでしょうか。
冗談と愚痴はさておき、サビキという仕掛けを買って海に向かった。

このサビキというのは要は餌をばら撒いて、寄ってきた魚が間違えて針を銜えてしまうというなんともずるい漁法。
ただ、はまると入れ食いでいくらでも同じ魚が上がる。
もちろんそんな子供騙しに寄ってくるのは雑魚ばかりなのですが。
目下かかる魚はチダイやアジといったところ。
たまに間違えてサバなどもかかるがだいたいは10~20センチの小さな魚が二つ三つ一緒にかかったりなんてのを楽しむのが定番。
それでもそれらの魚は小さくてもだいたいが美味しく食べられるものなのでうれしさはそれなりにあったり、糸を垂れているだけでも楽しいのに食べられる魚が連れる・・・一石二鳥じゃないですか。

そうして数時間が過ぎて、クーラーボックスもほどよく満たされてきた頃手ごたえの違う魚がかかった。で で で デカイ!
名前は分からないが、40センチほどある。
二分ほどの格闘の後に、いよいよ陸にあげる。しまった!網が無い。
その上、堤防の上からの釣りなので10メートルほどの高さもある。
案の定、水から持ち上げた瞬間にプチッと糸が切れて魚には逃げられた。
後で友人に聞いた感じではその魚の名はどうやらボラ。
ボラれた・・・とか言うと完全に親父だよね。

■「とどのつまり」の由来がボラ

「ボラ」を調べてみると、どうやら食べるにには適さない臭みがあるらしい。(泥臭いような独特の臭い)
それを知ってすこし諦めはついたのだがもう少し話を進める。
その臭みの原因はどうやら海洋汚染。人間の汚した海でついてしまう匂いらしい。
つまり自業自得ということだ。昔はよく食べられていたようである。
それと出世魚であることが判明した。

おぼこ、いな、ぼら、とど と名前を変えるらしい。(ボラは30~40センチくらいでそれ以上がトド)ただやはり鰤(ぶり)や鱸(すずき)など他の出世魚に比べると味が相当落ちるらしい。
一度焼いてから煮るなどの工夫をしないと食べにくい魚なのだ。
大きい魚が釣れるというのは嬉しい事だが、食べられないのでは仕方が無い。
世間一般的な考え方だと役に立たない魚とみなされる。
このことから、生まれた言葉があるのだという。

それは「とどのつまり」
とどのつまりとは「結局のところ」「挙句の果て」といった意味。

「良くない計画を進めていて、結局行き詰った」というような場合にも使われる。
「出世したところで、たいしたものにならない。行き着いたところで、たかが知れている。」

なんとも人間の勝手な解釈である。

次はなんとしてもボラを釣り上げたい。
そして料理してその味を確かめてみようと思う。
もし、万が一美味しかったら「とどのつまり」を別の表現に変えるようにそれなりの団体に抗議してみようと思うのだが

一体どこにいったらいいのだろう。シーシェパードじゃまずいよね??




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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