「根性」 の由来
私はこの言葉があまり好きじゃありません。
それは若干熱すぎる気がするからなのか、自分にそんなものが見当たらないからなのか・・
それは分かりませんが、兎に角、あまり好きにはなれません。
今日は「根性」について。
漢字が浸透してますから、かなり想像も易しくなりますね。
「根っこにある性」
植物で考えれば根は、養分や水分を吸い上げ汚れ仕事を一手に引き受ける縁の下の力持ちと言えると思います。
それを人間に置き換えた場合当てはまるのでしょうか?
我々には口があります。そこから必要なものを取り入れるわけです。当たり前のことですね。
ということは、我々の根に当たる部分は?
それは「心」なのかもしれません。
「根が腐る」と植物は枯れてしまいます。
人間も「心が腐る」と良心や倫理・道徳心が消え、モラルの低い人間ができあがってしまいます。
そう考える私は、どうしても「根性」という言葉が理解できないのです。
今日は自分自身を納得させたいと思います。
意味を調べてみると、
1、 生まれつきの性質や根本的な考え方。また、あるものに特有の性質。
これは正に私の言う、漢字から理解できるものですね。
2、 苦しさに耐えて成し遂げようとする強い精神力。気力。
これはおそらく世間一般な使い方でしょう。
3、 仏教信者としての宗教的素質。根機。
根性を入れ換える・・・精神を入れかえる、心を改める
仏教用語でもあったのですね。このように意味が広いとは知りませんでした。
確かに、やじ馬根性・島国根性・見上げた根性の持ち主、といった使い方を考えればどの解釈も納得できます。
根性とは何か?と調べてみると、「心」という回答をしているかたもいました。私と同意見かもしれません。
「それぞれの持ちよう」ということができると思います。
なんだかまとまってしまった感がありますが、本題の語源・由来について。
「根性」とは仏教用語の「機根」に由来することばなのだそうです。
薄々感じた深さは、どうやら仏教からだったようです。
では「機根」とは?
機根(きこん)とは、仏の教えを聞いて修行しえる能力のことだそうです。
また仏の教えを理解する度量・器のことで、さらには衆生(生命あるものすべて)の各人の性格のことも言います。
つまりは持って生まれたものなのでしょうか。機根が少ないと苦労しそうですね。
これらの事実から、「根」という漢字が「心」に通じていると信じられる教えに感じます。
「機」とは、人の心の機縁、はたらきを意味し、「根」とは、その人の根本的な性質や性格を意味するともありました。
ちょっと難しくなってきたのでこの辺にしましょう。
「根性」だけまとめておくと、
根性の根とは能力、あるいはそれを生み出す力・能生(のうしょう)のこと。
性とは、その人の生まれついた性質のことを意味する。
これが一般用語として転用されて使われるようになったそうです。
軽く使うには重過ぎる気がします。
現在の根性は「異常なまでの努力」といった意味で使われる場合が多いですよね。
しかし、本来は「その人間が持って生まれた性質」であり、より深くはすべての生命ある生き物が仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深のことであります。
これが現在のような意味合いに変化(誤用)されるようになったのは、東京オリンピック(1964年)の頃からなのだそうです。
皆さんもご存知の東洋の魔女、女子バレーを金メダルに導いた指導者大松博文の発言がきっかけと言われているとか。
一人の間違いだったのか・・ 重いですね。
更に、近年では人間の限界を引き上げるものとする考え方の一方で、逆に軍国主義の精神論に近い人間の尊厳を軽んじる思想として厳しく批判されるなど、その賛否は大きく分かれるとありました。
私の煮え切らない部分はこういったものからだったのかもしれません。
「根性」の本質はすばらしいものだった、と今日書き終えて私は断言できます。
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