「依怙贔屓(えこひいき)」 の由来
こんなに複雑な漢字を書く理由はやはりそのやましさからなのだろうか。
自分の気に入った者だけを特別に可愛がったり、肩を持つことを依怙贔屓(えこひいき)と言います。
私はこういった類の話が大嫌い。
平等をうたった現代国家の中で、なぜこういったことが蔓延るのかといつも疑問に思いますが、一方での経済第一主義と、競争社会が生み出しているのでしょう。
人の心理というのは複雑で、周りと同じ生活がしたいという一方でそれを満たした後には人より上に立ちたいという新たな願望をが生まれてくるのです。
そのために多くのストレスを抱えたくさんのものを本人が知らないうちに失っていきます。
上に立った時にどれだけの人がすべて満たされていることでしょう。
「依怙贔屓(えこひいき)」とは上にあがるための常套手段、そんな世の中ならこちらから願い下げです。
■「依怙贔屓(えこひいき)」の由来
その成り立ちを調べると、意味の上から「依怙」と「贔屓」にわけられるのだそうで、江戸時代初期の頃からその二つが合わさり四字熟語として登場しだしたようです。
「依怙」というのは「頼ること」「頼りにするもの」といった解釈から「自分だけの」という意味へ。
「贔屓」というのは我々にもなじみ深く、気に入った人を特にひき立てたり、可愛がったりすること。
贔屓は中国の伝説では龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつであるといわれ、その姿は亀に似ているらしい。
その姿を表してか、重きを負うことを好むといわれ、石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かったのだそう。
土台である贔屓を引っぱると柱が倒れることから、「贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の諺「贔屓の引き倒し」に発展したという。その「貝」が三つ連なる漢字は財貨が多くあることを表したもの。
「財貨を多く抱える」が、「大きな荷物を背負う」を経由し、「盛んに力を使う」といった意味に変化していき現在に至ると考えられる。
こういったことを踏まえて「贔屓」と「依怙贔屓」を比べてみるとその意味には大差がないように思えるが、現在の解釈では「えこ」が付くと非常に極端な場合を言うことが多いようである。
「贔屓の引き倒し」というのは贔屓をしすぎたために、贔屓をされたものが不利になることです。
能力というのは人それぞれの配分が違うもの。
絵を描くのが上手な人、文章を書くのが好きな人、記憶力の長けた人、語学に堪能な人・・・
自分の能力をわきまえて、その能力に応じて社会奉仕すること、つまりは社会の役に立つ人間となること。
そうすればおのずと自らの欲求を満たし、自分の存在価値を見いだせるというものではないでしょうか。
新社会人が先輩に言われたくない言葉NO、1。それは
「おまえ この仕事向いていないんじゃないか?」
その言葉を反動にして自分を磨く努力をするか、潔く自分の能力にあった違う道を選ぶか。
さては依怙贔屓で暮らす人生を選ぶか。
どれをとっても平坦な道ではありません。
私の短い人生の経験から言わせてもらえば、自分に嘘だけはつくなよということでしょうか。
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