「皮肉(ひにく)」 の由来
皮肉とは遠まわしの非難や悪口。
また物事が期待していたようにいかないこと。
皮と肉と書くことから、うわべだけなこと。また、そういったさまも表す。
改めてこのように文字に起こしてみると、その三つに接点はあまりみつからない。
■「皮肉(ひにく)」の由来
その由来について調べていると、中国禅宗の達磨大師の言葉「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」からくる仏教用語であることがわかった。
その意味がなんとも高飛車で小気味いい。
「我が皮を得たり」「我が肉を得たり」「我が骨を得たり」「我が髄を得たり」
弟子たちの修行を評価した達磨大師の言葉である。
ただその意味するところはたいへん深く、骨や髄は「要点」や「心の底」のたとえつまり本質を理解しだしたということを意味するというのだ。
たいして皮や肉は表面にあることから本質を理解していないという意味の非難の言葉。
皮 肉 骨 髄 と四段階評価と行きたいところだが、肉と骨の間は途方もなく広いようである。
これこそ皮肉かな悪い批評の言葉である骨と皮だけがセットとして残り、欠点などを非難する意味で使われるようになってしまったというわけ。
達磨大師といえば、現在では禅宗のみならず宗教、宗派を越え縁起物として広く親しまれている「だるまさん」のこと。
なぜあのような形をしているのかには訳があったのだ。
それは達磨大師の苦行。
壁に向かって九年の座禅を行ったことにより手足が腐ってしまったというのだ。
その姿から手足のない形状の置物が作られるようになり今に伝わるのだという。
自らの体を駆使してさとりの境地を見出した達磨大師の「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」現在人も骨の髄までその遺志を引き継ぎたいものである。
しゅつ - 2017年12月19日, 12:22 AM
「皮肉」には、「避難」と「遠回し」と言う要素があります。「避難」については説明されてますが、「遠回し」の語源に触れられてないです。
「皮肉」と言う言葉は、むしろ「遠回し」の方が骨髄かと思いますが、、、