「値・価(あたい)」 の由来

便利なものだ「価格.com」。
物の値段、つまりは相場が一目でわかる。
欲しいものがあると、とりあえず検索してみる。

ネット通販相場、オンライン価格、地方のお店、その店の幅は広く諸々の事情により簡単に最安値にはいたらないが大いに参考になるものである。
しかし小売屋さんは大変ではないのだろうか?

問屋から下ろす価格に儲けをのせて販売する。
店毎に違う値段の中で消費者は選んで購入する。
安くても品質が変わらなければ自ずと消費者は一か所に集まるわけ。
それでも送料とか買うものの特性(大きい小さい 重い軽いなどなど)といった諸事情によって購入場所は分散されるわけだがそれでも口コミを見れば一か所集中なんてこともありえる。
製品は変わらないのに売値がそれぞれ違うのはそこに儲けをのせるから。
その儲けというのも曖昧なものでつけたががそれぞれ違う。
「価格」「値段」「価値」「値打ち」それらをひっくるめて一つの言葉に行きついた。

それは「あたい」。

■「値・価(あたい)」の由来

あたいは、「相当する」といった意味がある動詞「あたう(能う)」が名詞化したものであるとか「あたあい(当合)」が変化して「あたい」になったと考えるのが妥当らしい。
「値」の漢字の「直」は、「まっすぐ」や「まとも」といった意味をもち「値」になると、「(人が)何かにまとも」といった意味を持つのだそう。
つまり値の漢字は人が何かにまともにあたることであり、そこから物の値打ちに相当する*まともな値段*をつけるといった意味になったのだ。
それはいわゆる適正価格といえる気がする。

ところがこの「価」の旧字である「價」の形成を見てみると蓋をして隠す意味の「覆」の上の部分と同じ意味を持ち、下の「貝」は財貨を示す。
あわせるとその意味は「財貨を隠す」ということになるわけだ。
これは庫の漢字と同様に買いだめする商人を意味するという。
買いだめという表現がよくないのか、何だか小出しにして価格調整をしているようにも見える。

しかしこういったことが必要なのも理解している。

野菜など天候に左右されるものは一定の生産高を常にあげるのは不可能に近い。
価格が調整されてしかるべきなのかもしれない。
ただ、それが「まとも」と呼べるかというとそれは怪しい。

ほら分からなくなってきましたよ。

整理すると、「価格.com」は消費者のための適正価格をおしえてくれて「あたい」は値打ちに相当するまともな値段をつけること。
だけどそれを漢字「価」にすると買いだめする商人となり、実に商業的。
つまり値段は嘘をつかないけど、それをつける人間は信用できないってことなのだろうか?

「価」とは表面的なあたい、「値」とは実質的なねうち。
実に哲学的な話になってきたが、二つのせめぎ合いの中で物の価値と価格が決まるわけである。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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