「筋肉少女帯」 の由来
あの強烈なキャラクター。
テレビで見つけた方は一様に音楽は副業なのか?そんな疑問をいだくことでしょう。
例えるなら漫画ブラックジャックのドクターキリコ。
なんとなく影があって人の死という場面に絶妙に顔をだし、、と書きながら大槻さん本人は明るく軽快なギャグを飛ばしモジモジしながら話したりします。
どちらかといえば「おたく」よりの雰囲気を持っていますよね。
1966年2月6日東京都中野区生まれ。
少年時代は漫画家を目指したそうです。
影響をうけた漫画家は蛭子能収さん・・大丈夫??
日本語詩のロックやパンクなどに影響を受け、次第に音楽の世界へと興味を持ち始めます。
キング・クリムゾンやピンク・フロイド、YMO、頭脳警察などなど。
1979年バンド「ドテチンズ」(ザ・ドンズ)を結成しますが中学卒業と共に解散。
エレクトーンを担当していた内田さん以外に楽器の演奏が出来るメンバーはなしと。。おいおい。
大槻さんは健康器具の青竹を打ち鳴らしたりしていたそうです。
音は鳴るけどねぇ・・
そして1982年2月・・今日の本題!
内田さんと共にロックバンド「筋肉少女帯」を結成(当時のバンド名は「筋肉少年少女隊」)します。
結成当初は、大槻さんがうどん粉で顔面白塗りし、裸体に包帯を幾重にも巻きつけて歌唱するなど、「当時は学園祭バンドみたいなノリで、完全にキワモノ」だったそうです。
そんなエピソードから、相当期待できそうな、「筋肉に少女に帯」・・どんなの由来が!?
筋肉少女帯の由来
大槻さんが当時ボディビルやプロレスをみてあこがれていたそうなんです。
そこに、「たくましい男のハダカ」に、女性グループだと勘違いして客が集まるのではないかという妄想が入ります。
しかし、少女でも少年でもクレームがはいるのでした。
確かにあのビジュアルでうどん粉ではねぇ・・
一つはジャニーズ事務所の「少年隊」
これにはもちろんかないません。
そこで自分の性別に違和感を覚えることもあった大槻さんは「少女隊」にしようとしますが、こちらも同名のグループがあったそうなんです。
そこで「隊」を「帯」に変えたのでした。
しかし大槻さんいわく「隊という文字に不良少年的なイメージを感じ、気に入らなかったので字を変えた」とか「確かに少年隊というネーミングには影響された」とか「女子プロレスからの連想した」など、といったようにその時々で、大槻さんは面白おかしく脚色して話してしまうために真相は「一切不明」であり、どこまでが真なのかは大槻さん本人にしかわからないとのことです。
つまりそれほどこだわってないということでもあるのでしょうね。
でも大槻さん本人も、ネーミングも、活動も、「なぞ」のほうがより「らしく」て違った魅力も増すのでしょうね。
ちなみに海外に紹介された時のバンド名の訳は「muscle girls area」だったそうです。
本人も了解したんでしょうかね??
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