Photo By 無礼講 酒気帯び時評55選
「無礼講」 の由来
「今日は無礼講だ。ゆっくりやっていってくれ。」
夏祭りが終わると、さっきまで偉そうにしていたおじさんが声を張り上げた。
担いだことのない神輿のおかげで肩が痛い。
首に巻いていたタオルを濡らして患部に当てたがそれほど効き目がない。
真っ赤に腫れ上がってしまった。
夜10時を廻っている。
早く帰りたいが新参者が「お先に」をすると後が怖そうだ。
知らないおじさんがお酒を注ぎに来る。
断るのも面倒だからと注がれるままに日本酒を放り込む。
コップで五杯ほどいった辺りから記憶が遠のく。
次の記憶は翌朝の布団の中。
頭がガンガンしてどうやって帰ってきたかも覚えていない。
やってしまった!家族に聞くと、近所のおじさん数人が寝てしまった私を担いできてくれたらしい。
ほとんどが初対面。
次に会ったらどんな顔をしてあえばいいのだろう…
でも無礼講っていってたし…意味が違うって?
「無礼講」の由来
日本の祭りでは、神と人が共に同じ物を食する神人共食が基本の形なのだそう。
神に奉納した神酒を参列者も授かる直会が礼講とよばれ、その後二次会的に行われる宴席のことを無礼講とすることが、本来の意とも言われているらしい。
その歴史はたいへん古く、平安時代の公家社会にまで遡るのだ。
宴席では席順が偉い順に決まっていて、座席に格付けがあった。
一番偉い公家は、一度その座に坐ると決して他の座席に移ることはなかったと言う。
宴が始まると、上から順に盃が回され、これが一巡すると「一献」。
2度目が「二献」、3度目が「三献」。
終わるまでにはかなり時間がかかるから、その間に様々な催しが開かれる。
そんな時代に、この通例を破った宴が行なわれたのは後醍醐天皇の時代。
天皇は鎌倉幕府(北条氏)を倒す意思を探るために身分を超えた密議を計画した。
呼ばれたのは美濃源氏の土岐頼貞、多治見国長、足助重成ら。
参加者は烏帽子や法衣を脱ぎ、献杯においては身分の上下を取り払い、薄着の若い美女10数人に酌をさせたという。
内容が外に漏れない様に身分関係を抜きにしてハメを外した酒宴を催したのである。
これは、世を欺く為の宴にかこつけた協議の場だったわけだが、驚いたのはその毎日続く常識や礼儀を欠いた酒宴を見ていた人たち。
この無礼が許された宴を「無礼講」と呼んだというわけ。
「無礼講」の元々の意味は、「本来座席を立ってはならない参加者が席を立ち、酌をすること」。
そこには、いつも上に立つ人間が下の人間の本音を聞き出したいという思惑が見え隠れしている。
だからといって、上下関係を忘れて羽目を外し、上役に溜口を聞いたり組織の悪口を言ったりなんて事はしないようにしましょうね。
その場はよくても(許されても)必ず遺恨が残ります。
そう、その後の私のようにね…泣
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