「頑張る」 の由来
「頑張る」 の由来についてまとめたエッセイです。由来だけ手っ取り早く知りたい人は下のほうまで飛ばして読んでね。
この言葉を鬱の人に言ってはダメなんだって。
しかし最近のテレビはどうでしょう。
大震災の影響もあってどこのチャンネルでも連日、連夜「がんばろう!ニッポン」が合言葉のように叫ばれています。
前述の病をお持ちのかたは、さぞ苦痛を感じることでしょうんね。
かくいう私も鬱持ちではありましたが、特に落ちやすい時期の震災で生きることに精一杯。
それを忘れるほどの快調ぶり。
うっかり「仲間」に「お互いにがんばろうぜ!」なんてウインクしながら親指を立てるくらいの勢いで声かけたらこの裏切り者!!と罵られてしまいました。
一時とはいえ苦痛を抜け出した私からすれば(以前ここでも書きましたが)欝は贅沢病の利己主義の生み出す病気に思えます。
批判ではなく自己分析です。
自分も困っているときではありますが、そんな自分がかわいく思えるほど身近な人の死や家の倒壊、会社の損失・・・
より苦しみ、より耐えている人々がたくさんいるのです。
自分のことだけ考えて生きてる余裕なんてないのです。
土壇場になると思うんです。
やっぱり生きたいと。
皆と一緒に生きたいと。
私には何ができるか。閉じこもっていないで(心の中も)表に出て、できることから始めようそう変われるのです。
明日の日本のために「がんばろう」の由来。
頑張るとは、困難に耐えながら努力しやり通すことを言います。
今の日本にピッタリの解釈ですね。
「がんばる」は、江戸時代から見られ始めた言葉であります。
「頑張る」は当て字のようです。語源は二つ。
「我(ガ)に張る」説
意味
ある場所に座を占めて、少しも動こうとしないこと。
(じっと居座る感じ)
苦しさに負けずに努力をすること。
他の意見を押しのけて、自分の意見を押し通すこと。
(我をはる。漢字の意味合いの強い訳)
「我の強いがんばる」でしょうか。
二つ目は比較的現代の訳に通じている気がします。
「眼(ガン)張る」説
目をつけることや、見張ること、よく見ることなど。
眼張るが転じて「頑張る」になったとする説。
目をつける、見張る→一定の場所から動かない→現在の意味にどちらも「動かない」といった同じ意味があるので、どちらが正しいといったことは、意味からは判断がつきません。
が、江戸時代には、「きばる(気を張る)」「いばる(意を張る)」「ほねばる(骨を張る)」など「~張る」の言葉がたくさんありましたが、全部「~を張る」であり、「我に張る」のようなに「~に張る」といった表現が見当たらないことからも、「がんばる」は「眼を張る」からできた言葉かもしれません。
震災が起きて外国の方々が驚いたことがあるそうです。
もちろん一つは、混乱・パニックが起こらなかったこと。
そしてもう一つはどんな困難がおとずれても、日本人は逃げずに立ち向かうこと。
この強い意志が、「動かない」といった気丈な姿勢から生まれた「がんばる」にまつわるすべての言葉の凝縮かもしれません。
がんばれ!そして負けるな日本。
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