「ハイカラ」 の由来
私はわざと古い言葉を使ってボケるときがあります。
ただ、このボケも面白いところがあって「ちょっと厠(かわや)行って来ます」も同年代が相手だと、「おまえフッるいなぁ~。ありえへんぞ。」苦笑 となりますが、もしおばぁちゃんが相手だと、普通に「あ~行ってらっしゃい。」となるわけです。
更に、「腰巻におしっこついてもうた」と言ってみたなら、「おいおいバッチいなぁ~。ていうかお前、男だし。いやその前にまたまた古っ」とノリのいい関西人の友人なら突っ込んでくれることでしょう。
中でも私のお気に入りの言葉は、「ハイカラ」。
ハイカラとは、目新しく西洋的でしゃれていること。またそのような様。
西洋風の身なりや生活様式をする様、人物、事物などを表す言葉です。
西洋気取りの軽薄な人というニュアンスを含むこともあるそうですが、これはきっと武士道の重んじられた時代に、すぐにそれを捨てる人に対する嘲笑の意味もあったのでしょう。
もちろん「ハイカラ」とは服装などのことを言うことが多いはずで、身だしなみに敏感なのはいつの時代も女性のほうであったことでしょう。
私の「ハイカラ」は、やはり「はいからさんが通る」であり、時代として南野陽子さんの映画でありました。
「はいからさんが通る」(はいからさんがとおる)は、大和和紀による日本の漫画作品で、「週刊少女フレンド」(講談社)に1975年7号から1977年10号まで連載。
これを原作として製作されたアニメおよび映画、舞台、テレビドラマが多数あります。
大正時代、「はいからさん」こと花村紅緒(はなむら べにお)は跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘。
ひょんなことから知り合ったハンサムで笑い上戸の青年将校である伊集院忍(いじゅういん しのぶ)が祖父母の代からの許嫁と聞かされます。
忍に心ときめくものを感じながらも素直になれない紅緒は必死の抵抗を試み、て数々の騒動を巻き起こすといった物語。
この物語から推測すると、「ハイカラ」は服装はもちろんのこと、文明開化の時代に物事がお洒落で時代の最先端である生き方そのものを指し、それまでの女性の立場、生き方の変化を象徴した言葉なのかもしれませんね。
対極は「やまとなでしこ」でしょうか。
今の時代なので、私はどちらかといえば後者のほうが好みです。(余談)
■「ハイカラ」の由来
その由来は「high color 」と勘違いされているケースが多いようですが、「high collar (=高い丈の襟)」からきているのだそうです。
当時、西洋から帰国した人や西洋風の文化を好む人が高い丈の襟のシャツを着ていたことから意味が転じて生まれました。
ハイカラーは明治時代の男子洋装の流行であったそうです。
毎日新聞の石川半山が紙面の「当世人物評」において1899年~1900年(明治32~33年)頃から「ハイカラア派」「ハイ、カラア党」などと使い始めたのが流行のきっかけだといわれています。
いつの時代も同じですね。新聞、雑誌は流行を作りたがります。
また、当時は「ハイカル」という動詞も同時に生まれました。
「おまえ、ハイカッてんなぁ~」みたいな渋谷のギャル男のノリかもしれません。
「ハイカった人」などのようにも用いられたそうです。
袴や襦袢、白衣にフンドシから大きな変化を迎えた時代です。
それを受け取った当時の人々は困惑したのでしょうか?
私はその便利さに心揺れながら、世間の動向を見つつ流行を迎えた瞬間一気に染まっていったのではないかと推測します。
その根拠として、機能性、耐寒性、フィット感を挙げます。
着物は重ね着などの融通が利きにくく、色で遊ぶこともままならないですからね。
それでも日本人の記録・記憶として、その必要性は否定しません。
その価格もピンきりの幅が広く、特に冠婚葬祭での気品の高さは揺るぐことがなく重宝されます。
しかし、現在ではズボンにシャツにパンツにジャケット、西洋の服装が当たり前となっています。
日常着としてはやはり、西洋に分があるといえましょう。
それと共に「ハイカル」も「ハイカラ」も死語になってしまいました。
それでも私は90近いおばあちゃんとコミニケーションをとるために
「そのシャツハイカラだね。」
「出かける前に厠によったら?」
「今日は髪結いさん乗せていこうか?」と声をかけるのでした。
はいからさんが通る(1)
(講談社漫画文庫)
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