「かりんとう」 の由来
私はあまり好きではありません。
甘すぎるし、ビジュアルも何かを彷彿とさせますし。
父が大好物でよく実家には「転がっています」が、私は自腹で買ったことも買おうと思ったことも一度もありません。
父と一緒に旅行にいったときの話。
どこか行きたい場所はないかと問うたら、有名なかりんとうがあるから食べてみたいと珍しくはっきりと行き先を断言したんです。
もちろん私の足は重いのですが、老い先の短い父の願い。
店の名前も分からないその場所を、途中いらないお土産を数点買って聞き込み調査をしながらなんとかたどり着くことが出来ました。
そこは昔酒屋を営んでいた店の母屋の一角で、築200年以上の建物をキレイにリフォームし売店、カフェを併用したものでした。
西洋の要素をうまく取り込んだその畳座敷は今風で庭も素晴らしく、安いカメラでも立派な観光写真が撮れるほどの佇まい。
中を覗き込んでいたら、「ちょうどお客様も切れましたので中へどうぞ。」と丁寧に案内していただきました。
「週末などはこの環境に似合わないほど多くのギャルで賑わうんですよ。」
店員の女性が若干迷惑・困惑の表情を浮かべながら説明してくれた。
静かに場所の雰囲気を楽しむための大人の雰囲気を理解しない招かれざる客なのかもしれないが、その今風に「うける」改築法ではそれは仕方ないのではないかと勝手に私は心で呟いた。
テレビなどへは出さなかったのだが、最近はネットの口コミでどうやら集客が伸びているらしい。
パンフレットには30年ほど前の私でも知る有名映画のロケがされたことが綴られていた。
「何かまだいただけるのですか?」と父が聞くと「抹茶がございますが・・」と招き入れた客に無理に注文を押し付けてしまったのではという困惑の表情を浮かべながら彼女は答えた。
もちろん父は純粋に「ここ」でお茶を飲みたかっただけ。
ではお抹茶二つという父の言葉を遮るように私が「一つでいいよ。」とそれを否定した。
もちろん私も純粋に「飲みたくなかった」だけ。
似たもの親子か。
五分ほどしたらお抹茶がやってきた。
更にお水も二つ。
本当なら「何も頼まない」客なんて居心地が悪いものだが、それまでの経緯もあって私は堂々としていた。
「じゃ 一人でやってて。」と冷たく言い放ったら、その女性に「おとうさまに付き合って差し上げたら。」とおおよそ店員が客に言うわけのない言葉を突きつけられて呆気にとられながら腰を下ろした。
その前の事件もそれには関係がないとはいえない。
やってきたのは、あのありがちなサイズの器にもられたお抹茶とこの場所で本来の主役である「かりんとう」が一粒。
一粒には驚いたけどそれが高級感とも言えなくもない。
「おいしいか?」って聞いたらせっかく楽しんでるんだから答えるのが面倒くさいような質問するなって顔をされた。
帰りにはしっかり自宅用を買いこんで、酒蔵を遠巻きに拝観して店を後にした。
ちょとだけ親孝行できた気がした。
だまって横に座っていたならなお更なのだろうけど、口を出したおかげでこうやってネタったのだから「俺」的にはOK。
「かりんとう」の由来
もちろん何もなければかりんとう「なんて」かりんとうの由来「なんて」調べようとは思わなかったわけだが、これも何かのご縁とさわりだけ調べてみることにする。
かりんとうとは、小麦粉に砂糖を加えて練り、短い棒状にして油であげ、黒砂糖などをまぶしたお菓子のこと。
漢字は「花梨糖」ではなく「花林糖」と書きくのは以外。
主原料は、黒砂糖・砂糖・水飴・小麦粉・植物油脂・イースト、それに胡麻・でんぷん・小麦胚芽・卵殻カルシウム等。
どうやら奈良時代の遣唐使によって唐から伝えられた「唐菓子」がかりんとうの先祖のよう。
京都で高級菓子として発達し、徳川家光の頃(1623~)に江戸に伝わったらしい。
明治初期、東京浅草あたりから下町の庶民に親しまれることで一気に広がりを見せる。
当時はまだ「かりんとう」という名前はついていなかったようだ。
その名前の由来にはいくつかあるそうで、食べたときにでる擬音「カリン」に、糖をつけたというありがちなものや、林の木の色に似ているから、花林糖と名づけられたというそれらしいものまで。
逆に、花林(かりん)は木(花梨)とは関係なく、まったくの当て字であるという説も。
と言われると最初の疑わしい擬音「カリン」説が引き立って見えるから不思議なである。
ただ一つ、糖は糖分で間違いないだろう。
あんなに無駄に甘いものはなかなかない。
よくスイーツを食べながら可笑しなことを言ってる人がいる。
「甘過ぎず美味しい」 なんとも贅沢な国だ。
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