「日本・JAPAN」 の由来

日のもとの国「ニッポン」。やはりこれが由来なのでしょうか。
いつごろから呼ばれたのでしょうか。
NHK「龍馬伝」で「日本人として・・」なんて言葉を耳にするときっとそれより前なのでしょう。
また、英語の「JAPAN」てのも誰がつけたのかが気になります。
その他にも「ジパング」「倭」なんて呼び名もありましたね。今日はその辺を調べてみましょう。
「日のもとの国」なのであれば、相対地名ではないか。
つまり、他所の国からみて日が出る方向だから、となるわけです。どこの国から?
それは世界の中心と考えられていた中国からということなのだそうです。
なるほど「中国」という名前から(略ではありますが)我々が世界の中心であると宣言しているかのようですね。
だから中国から見える半島も「朝の鮮やかなるところ」で朝鮮となるわけですね。
「日のもとの国」と言われて悪い気はしませんが、それを自ら名乗るのはなんだか腑に落ちない気もしないでもないですね。
日本では大和政権による統一以来、自国をヤマトと称していたそうです。
その頃は中国や朝鮮では日本を倭(わ)と呼んでいたようです。ちなみに倭はもとは委だったようです。
この「倭」は中国から見た周辺民族への蔑称としての表現だったのは中学の歴史でも教わるお話。
つまりこの頃は馬鹿にされていたのでしょうね。
しかしその後、中国との国交が120年ほど途絶えたわけです。
7世紀初めに再開されたときには、文書などで、「日出処天子」というように倭と自称することを避けるようになったようです。
このことについて当時の隋では、隋書の中ので、「日出る処」の表現より、むしろ「天子」という言葉に激怒していたようです。
天子はこの世にただ一人、という原則を覆す行為だったからようです。
旧唐書の東夷伝の中で初めて、「倭国」と「日本国」とを併記し、「日本国は倭国の別種なり。其の国,日の辺に在るを以て故に,日本を以て名と為す」とか、「或いは曰く、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み,改めて日本と為す」とか、「或いは曰く、日本は旧(もと)小国,倭国の地を併す」といったように、倭から日本に変わった理由を紹介しているそうです。
この頃は、遣隋使、遣唐使と交易が盛んであったころなので、次第に認められたということなのでしょうか。
ただ、「日出処」が「日本」に転化していったことはまず確かだ思えますが、明らかでないのだそうです。
日本という国号が確立したのちの書物においては、国号に関するかぎりすべて倭を「日本」と書き改められているそうです。八世紀ごろのお話。
由来についてはこんなところでしょうか。
中世に中国を通じて日本をヨーロッパに紹介したマルコ・ポーロの「東方見聞録」においては、日本国が「Zipangu,Jipangu 」と書かれているそうです。
ここで「ジパング」が登場するわけですが、考えてみればジャパンもジパングに似ていましたね。なるほど。
この呼びが、その後ヨーロッパに広まった Japan,Japon,の元となるようです。
これについては、日本に対する中国の華北音の jih pen に基づくとする説と、華南音の yat pun に基づくとする説とがあるそう。
どれをとっても中国絡みなのが日本人としては歯がゆい気がしますがこれが歴史のようです。
近代では日本の読み方を統一しようという動きがあり、1934年の文部省臨時国語調査会では、「ニッポン」を正式呼称とする案が議決されたそうですが、法律制定には至らなかったとか。
これって本当に正式なのでしょうか?ここにも曖昧な日本人のよさが見え隠れしていますね。
スポーツの応援にはリズムに合わせて断然「ニッポン」がよさそう。
今日はこんなところで。



著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

1コメント

  1. くまさん - 2018年11月27日, 12:55 PM Reply

    「日本・JAPAN」 の由来

    〇 1776年に独立したアメリカに対し、日本漢字は、「米国」と命名しました。中国漢字は、「美国」と命名しました。

    〇 日本漢字「米国」とは、… 象形文字の「米」とアメリカ国旗を想定し、稲穂がうかびます。アメリカ国旗には、合衆した州と国の数が星形で描かれています。この星の数を稲穂についた米粒と重複させると「星条旗」になると感じます。

    〇 中国漢字は、アメリカ国名に対して「美国」と命名しました。
    (※;中国における「美」の意味 … 大きいものは善いもの、美しいものである)

    〇 中国の歴史は、周辺国に対して常に侵略拡大を続けています。この国状が「美」であるならば、アメリカが、合衆して同盟国を増やし大きくなる形が「美」であるといえます。


    〇 ジャパンの由来
     歴史的には、「始皇帝」が誕生する数百年以前の出来事です。

     「倭女王・卑弥呼(徐福の子孫)」が誕生する以前の倭国(九州)内には、同盟盟主王国が三ヵ国ありました。

    ① 九州西北面の「伊万里湾、唐津湾、博多湾、福岡湾」面と「有明海」北面に韓半島体制内となる渡来人体制国があり、伊万里湾を国内とする「斯馬国」が盟主王でした。
    (※;倭人伝時代の国数は、九州西北湾水面に5ヶ国。有明海北面と筑後川面には、「倭女王・卑弥呼」の「邪馬壱国」同盟国が6ヶ国)

    ② 「唐津湾、大村湾、長崎湾、橘湾、島原湾、有明海」に面した国々の盟主王は、「島原半島、経ヶ岳、長崎半島」を国内とする「弥奴国」でした。
    (※;倭人伝時代の国数は、熊本平野の4ヶ国を含み7ヶ国)

    ③ 「八代海」を囲んだ国々の盟主王は、天草上下島の「好古都国」でした。
    (※;倭人伝時代の国数は7ヶ国)

     上記に記した湾形状を見ると、すべの湾が連続湾形状です。

    〇「始皇帝」の誕生以前の時代に、倭国内の渡来人体制国と倭人体制国の「三盟主王」が連合して「倭国内連合統一組織」をつくりました。それも、倭人主導と渡来人主導の二組です。

    〇 この「三盟主王連合統一組織」を知った中国体制は、「ジャパン連合統一国」に対して「倭国(和国…協調する国)」と命名しました。
    (※;倭 … 人偏に旁が委任するの委です。卑しめる漢字とは思えません)

    〇 「三盟主王連合統一組織」は、倭人伝内で「伊都国」の三官と「邪馬壱国」の四官の内の三官です。

     「倭女王・卑弥呼」の倭王位は、二組の「三盟主王連合統一組織」を軟禁拘束して、代行倭王権を持つことによって成り立っています。

     四番目の「奴佳鞮」は、韓半島南端の「狗邪韓国王」の子孫で倭国内の渡来人体制国の総ボスです。「徐福」が、倭国に来る際に「狗邪韓国」を占領し、倭国に伴ってきました。

     そして、「徐福」は、「狗邪韓国王」を使って渡来人体制を動かし、二組の「三盟主王連合統一組織」を軟禁拘束したわけです。


    〇 では、「ジャパン」とはどういう意味かというと、
    連続湾水面になる国々の三盟主王が、連合統一をはかった国。 「ジパング」とは、代行倭王権で倭王を維持した「倭女王・卑弥呼」時代です。

    〇 この国名が、倭国・大陸を交易する人が、口語で大陸沿岸部に伝え広げてヨーロッパまでも広がったと思います。もしも、大陸内を通ってヨーロッパに伝わったならば「ワコク」になっていたと思います。

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