「粗相(そそう)」 の由来
不注意や軽率さから誤りや不適切なふるまいをすることを「粗相(そそう)」と言います。
詳しく調べてみると、更に「大便や小便をもらすこと」という訳もありました。
更に更に粗末なこと。粗略なこと。軽薄であること。また、そのようなさま。
この言葉には「子供や犬などペットの失態」といった意味が現代では強いような気がするのは私だけでしょうか?
その「そそう」という発音の緩さから「大便や小便の失敗」だけにスポットが当たり一人歩きしているのかもしれません。
漢字で書くと「粗相」となります。
少し印象が違ってきませんか?
我々にあまり意識の薄い粗末や粗略といった意味がもしかしたら本来のものなのかもしれませんね。
漢字一つで言葉の印象がだいぶ違ってくるものですね。
■「粗相」の由来
「そそう」という言葉は、仏教に関連することから生まれた言葉と言われています。
「粗相」は「麁相(そそう そさう)」を語源とするという考え方が有力なのだそうです。
仏教語に「四相(しそう)」というものがあり、物事や生物の移り変わる姿を四つの段階
一、生相(しょうそう) これは事物が生起すること。
一、滅相(めっそう) これは事物が崩壊すること。
一、住相(じゅうそう) これは事物が安住すること。
一、異相(いそう) これは事物が衰退すること。
があり、万物の生滅・無常の姿を表現していると言われています。
これら「生・住・異・滅」の「四相」を、人の生涯の生・住・老・死の各相に当てはめたものを「麁四相(そしそう)」と言います。
人の生涯には無常さがあり、弱きところもあり、軽率な時があったり、間違いも起きます。
「麁四相」が「麁相」となり、軽率なさまや過ちなどの意味合いで使われるようになりました。
そういった意味の変化に伴って、「麁」に大雑把なことや落ち度を意味する「粗」の字が当てはめられ、「粗相」の漢字の組み合わせが生まれたとのことです。
「粗相」には壮大な人生と、たくさんの時間、人間の善悪までも絡んでいたのですね。
そんな中で、「便の過ち」などたいした「粗相」ではありませんね。
最近のコメント