Archives 2012年1月10日 – 由来メモ

「夜なべ」 の由来

「かぁ~さんがぁ~ よなべ~をして」 私も現在これを夜なべ作成中です。 夜なべにはいくつかの由来があるとされています。 一つめは誰でも単純に考えるであろう、「夜鍋」説。 夜仕事をする時、鍋で物を煮て食べながらしたということ。 でもよくよく考えて見ると、仕事中に(どんな仕事かは知らないが)団欒で楽しむべき鍋をつついて楽しいだろうか?という疑問が湧き出てくる。 更に夏であったならそれはかなりしんどい。 調べてみても具体的な話もないので信憑性は薄そうである。 次に「夜並」(よなべ)からという説。 「夜並」説は、夜を昼に並べることからきたとするもの。 はっきり言おう。 意味が分からない。 いつ頃できた言葉かも不明だがもちろん最近ではないことは確か。 セブンイレブンもないのに今のように昼夜逆転の生活をしているひとなど 数十年前でも、もちろん少なかっただろうからどう考えても並べるのは不自然。 そうか・... »

「おっちょこちょい」 の由来

人の力量とは生まれながらに決まっている気がします。 私の持論としては人はそれぞれ100は最初に持っていて、それをどう振り分けられるかが遺伝情報であるということです。 例えばおしゃべりの上手な人はそこに50パーセントが費やされ、残りの50に他の能力が振り分けられる。 だから記憶力が人より劣って見えて、忘れ物が多かったり、想像力が足りないから同じことを何度も話していたりといった具合です。 それが顕著に見られるのは知的障害者と呼ばれる子供たちです。 確かに彼らは世間一般的な社会適応能力は劣っていますが、その分純粋さと創造性、集中力が勝っているので、根気の要る作業や、道徳認識力、そしてよく見られる音楽や芸術の才能で一般人(常人)を魅了するのことでしょう。 また、目の見えない人、鼻の利かない人、目の見えない人もしかり、五感という人間の必要不可欠と思われる能力の欠如した皆さんはそれを補うかのように、第... »

「ほとぼり」 の由来

人の記憶とはたかが知れています。 大きく心を動かされても、ノートにメモしたり心で何度も繰り返したり、日々そのことを心がけ続けていないと忘れてしまうものです。 でも、だからこそ、生きていられるのかもしれません。 人生いいことばかりではありませんからね。 大きく傷ついたとしても、一度眠るとその傷の半分ほどは癒え更に数ヶ月を過ぎると大概のことは忘れてしまうものです。 だから経済もまわるのでしょう。 どんなに欲しい物があったとしてもそれを手に入れて最初の感動さえあれ、一年も経ちローンも終わった頃には次のものが欲しくなります。 それでも大きな過ちを犯したときには、たくさんの時間の経過が必要です。 その時間の長さがその罪の大きさとも言えることでしょう。 それをよく「ほとぼりが冷める」といいます。 私にもそろそろ冷めてきたほとぼりがあります。 冷め始めて思うのは、自分が思うほど世間の人は憶えていないって... »