「留守(るす)」 の由来
おかしな言葉もあるものです。
「留守」と書き「るす」と読みます。
「留まり守る」と書くのに意味は、家に居ない、不在なこと。これは本来の意味は、あるじが不在の家を守ることであったのだそうです。
中国語に由来していてるそうで、「皇帝が都を不在にしている間、都に留まって代わりに政治を行う」という意味であったものが「不在の主」の方に重点が移ることで単に「不在」の意味に使われるようになってしまったとのこと。
日本に入ってきた時代は定かでは有りませんが、鎌倉時代には現在と同じくような「不在」の意味で「留守」が使われていたそうです。
ちなみに中国では現在でも「留まって守る」の意味で「留守」が使われているとか。
大きな違いですが、当たり前のように我々が用いているのは大変不思議ですね。
1986流行語部門の銅賞に「亭主元気で留守がいい」というものが有ります。
私は今日までこれは慣用句か何かだと思っていたのですがなんとテレビCMから生まれたキャッチコピーだったのです。オドロキ
夫が留守で元気はつらつな妻がこのフレーズを叫びます。
亭主の存在感が薄い現代の夫婦関係の現実を突き付けられた力作・秀作だと私は思います。
その意味は「給料だけ入ってきさせすれば、面倒なオヤジはできるだけ家にいないほうがいい。」といった解釈で我々はとらえています。
もちろん製作側がその言葉の真意を細かく説明するというのは野暮ですし、それを説明してしまったら面白さの意味がなくなります。
しかし、もし「留守」が中国のような本義で訳して捉えたならばその意味は「夫が元気で働いてくれて共働きもせずに、こうして家を守っていられる生活は本当にありがたく幸せだ。」といった意味に変換できるのです。
この場合の留守の意味は「夫が家を不在にしている間、家に留まって代わりに炊事、洗濯、育児を行う」であります。
私は平日の昼に、流行のカフェやレストランなどで食事をすることが多い生活をしています。
そこで見かけるのは昼下がりのマダムたち。
子供が学校に出かけた後に、預けた後に、優雅に楽しむランチタイム。
綺麗に着飾りブランドバックを手にしたグループが、三人ほどから多い時にはよくこれほど集まったなと思えるほどたくさん(十人以上)集いのんびり(三時間以上)、大きな声で(こちらのお話が聞こえないほど)一食2000円以上のコースを楽しんでいるのを目にします。
中には年少の子供たちをほったらかして、話に夢中なグループも。
彼女らからしたら、店でただ一人の男性客の私は「ろくに働かない駄目男」といった括りにあることでしょう。
そんな私はというと、そんな女性の昼の本性を楽しみながら必死に働く夫の姿を想像しそれを魚にゆったりとアフタぬーーんティーを楽しむのでした。
家にいないなら本義でも「留守」にはならないなと書き終えるころに気付いたりしている今日この頃も実はそのような状況で書かれているものかもしれません。
Xiang - 2018年12月29日, 7:46 AM
Funny that the word has a totally different meaning in Japanese than in Chinese. I mean literally its Japanese meaning doesn’t seem to make much sense. Was really intrigued when I first saw its Japanese meaning.
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