「村八分(むらはちぶ)」 の由来
九州にあるに親戚の家はいつも村八分状態で暮らしている。
村八分(むらはちぶ)とは村落の中で掟や秩序を破った者に対して課される制裁行為のこと。
現在は差別用語とされているが、実在はするのである。
まぁ集団で仲間はずれにすると考えれば間違いない。共同絶交とも言うらしい。
ではなぜ親戚はそうなったかというと、間違っていることを正しいとはいえないからだ。
日本人というのは、空気を読むとか、長いものにまかれるといった言葉が存在することが証明するように人の顔色を見て自分の身体を決めるようなところがある。
それができないというわけ。
でも話をよく聞けば空気を読まなくていいし、無理にあわせることもしなくていいから案外楽だよ。
とは従兄弟の話。
大火事とか起きてみんなが間違った方向に逃げてもこの家族だけは助かったりするのかななんて遊びにいくとたまに思う。
■「村八分(むらはちぶ)」って
八分というくらいだから全部で10の項目があるわけ。
地域の生活における10の共同行為のうち二つだけ助けますが、他はのけ者ですよというのが村八分。
助けてもらえるのは、葬式の世話と火事の消火活動だけ。
まぁ要するに日本人らしく最低限のことだけやってあげるお情けがそこにはあるのだろう・・・と思ったら大間違い。
なぜその二つは助けてくれるかということについては、死体を放置すると腐臭が漂ったり伝染病の原因となるといった自分たちの都合や家事についても他に燃え移ると困るといったこちらも当事者へのなんの配慮もない理由からだとか。
恐ろしいものだ。
残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行・・・
と、こちらの方は今都会でご近所の間柄で付き合っている人を探す方が難しいくらいの項目。
確かに煩わしさが消えるという従兄弟の話もごもっともといったところ。
「八分」という言葉には「はじく」(爪弾きにする)の訛ったものであるといった説もあるようだが、ここまでハッキリしていると葬式と火事以外はてつだわねぇから村八分だよとはっきり言われる方が小気味いい気もする。
江戸時代頃はこれを課されると入会地などの共同所有地が使えなくなり事実上生活が出来なかったというわけだから是が非でもさけたいというか避けるより仕方が無かったのだろう。
ただ付き合わないのではなく生活が出来ないといわれちゃ~黒も白といわざるおえない。
しかし、ここが難しいところで村落の中での掟や秩序というは、公正公平には程遠いというのは今も昔もそうは変わらないお話のよう。
その地域の有力者の利益に沿うものも少なく無いので、不平不満が多いというのはもっともな話。
しかし、現代人はその考えを大きく変え始めているという現状もあるようだ。
先ほど書いたように、大都市など新住民が多く住む地区では隣近所と疎遠なこともそれほど珍しくないし田舎であっても状況は変わりつつあるという話を耳にした。
八分の縁は遠のき、二分にしても葬儀はホールの登場でお金さえ払えば人手を必要としない現状が生まれつつある。
いくら省かれても生活不能な状態に陥るということが無くなってきているのだ。
お付き合いにはお金がかかるという現状も人々を逆の方向に向かわせている。
額の違いでいざこざが起きたり、わざわざ遠くまで出向くといった時間的負担も煩わしい。
もしかしたらいずれ村八分にされていた従兄弟が村の長になるなんてことも無きにしも非ずなこの世の中。
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