「節穴(ふしあな)」 の由来
「お前の眼は節穴(ふしあな)か!」
節穴とは、見えるはずのものが見えないとか見落としていたりとか、物事の意味を理解していない時、見抜く力のないことをあざけってもう少し勉強したら?とか気が抜けていないか?といった感情を込めて用いられる。
■「節穴(ふしあな)」の由来
ではその節穴とは何かというと、簡単に言えば、板などの節(枝の出るところ)が抜けおちたあとの穴のことなのだそう。
そこから覗きこむと向こうは見えますが、穴が狭い為全体は見えなかったり視野が狭いというわけ。
転じて、見落とすはずが無いものを見落としたり、物事の意味を見抜けない人を指すようになった。
節穴なんじゃないのかというのは「ただの穴なんじゃないのか」という意味となるわけだ。
なるほど、百害あって一利なしの節穴。
板を材料として用いる場合にもこれほど邪魔なものもない。
家の材料としても値が落ちる。無節のものが重宝されるし値段もいい。
壁に穴などあいていようものならそこから風が吹き込むし、虫も入ってくる。
何かよく書きたいものだが今日ばっかりは思いつかない。
でも・・・たぶん無節より・・・強度は強いんじゃないかなという気がする。
私は物事が見えすぎて疲れるときがあるので視力が弱くても眼鏡をしないようにしている。
常時着用するのは車の運転くらい。
だから遠くから来た人が誰なのか判らずに失礼することも多い。
視野も広すぎるし見えないものも見えすぎるし、だから狭まるくらいがちょうどいい。
だから私が誰かに「お前の眼は節穴(ふしあな)か!」といったならその穴は本当に小さな穴なのだと思う。
よほど見えていないと感じなければ言わない。
でも節穴の方がいい気もしてくる。あまり多くのことを考えなくて済む。
だからパソコンではなるべく節穴を貫いている。情報が多すぎて疲れるからだ。
だか一方でその情報を増やしている自分が居たり。
本末転倒な今日の由来メモ。
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