「落書き」 の由来
世の中には特別な能力をもった人がたくさん存在する。
ただ、それは一見無駄なように見えることもある。
でもその能力は必ずどこかで、何かの役に立つ。
ということを私はワンピースで勉強した。
中でも絵画関係には度肝を抜かされる。
人間自身をピカソ、シャガール、モネといった偉人たちの作品のような絵に変えてしまう。
立体を平面にしたり、色彩をありえ合いような色合いに・・・
マンガだけにやりたい放題だが、その発想力が素晴らしい。
最後はその特徴的な能力が災いしてやられていくわけだが・・・
■「落書き」の由来
その一見落書きのようなタッチが漫画として成り立ってしまう。
いや、落書きはもしかして漫画の原点なのか・・・とも思う。
私は「絵」とくに漫画を描くのが苦手なので、そういった特技を持つ人を羨ましく思う。
誰しも自らが望む能力が必ず手に入るということはない。
文章が人一倍苦手だと考え、読書もあまりしたことのない私がこのように文章をせっせと書いている。
実に不思議だし、数年前は想像だにしなかったこと。
同じように書きたくなくても頭にどんどん漫画のコマが浮かぶ人がいるという話を聞いたことがある。
落書きと呼ぶにはもったいないくらいのクオリティらしい。
落書きが劣るという考え方がそもそも間違いなのかもしれない。
漢字が「落」だから見劣りを感じるが「楽」なら全く違うイメージに。
落書きは、和製漢語である「落書(らくしょ)」の重箱読み(上の字を音で読み、下の字を訓で読むこと)から生まれたものなのだそうだ。
「落書(らくしょ)」とは何かというと、中世から近世にかけて政治や社会、権力者などに対し、批判や社会風刺を述べた匿名の文書のこと。
その公開の仕方が斬新で現代では考えられない。
人目につきやすい場所に落として人に拾わせたためというのだ。
「落とし文(おとしぶみ)」とも言われていたらしいが、漢語形「落書」の方が古くからみれら、定着していった。
家の壁や塀にも貼り付けられたことから、現在の「落書き」の意味に転じたと考えられるらしい。
なるほど、絵におこすことでその表現はやわらぐがその内情は社会風刺。
当時の能力者は実に簡単かつ、効果のある表現法を生み出したものである。
私のこの文章公開法も現代風であるが、その意図は落書きに通じると思う。
ネットサーフィン中に拾ったあなたが、何らかの影響を受け社会をよくしてくれることを期待してやまない。
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