「YAMAHA(ヤマハ)」 の由来

最近バイクとピアノの話をする機会がありまして、そこでふと思ったんです。
両者には同じメーカーが存在しますよね。
それは「ヤマハ・YAMAHA」であります。
でも・・かたや人を乗せて走るバイク、もう一方は繊細な音色を奏でるピアノ、共通項が見当たりません。
しかし、調べてみればどちらも同じロゴマーク。
やはり系列会社なのでしょう。

この「ヤマハ・YAMAHA」って会社名から想像できるのも「あなたは海派?それともヤマハ?」(真面目に)くらいで、おそらく山が関係するであろうくらいです。
疑問の多い「ヤマハ」について調べてみます。

ヤマハの由来

期待に反して一番分かりやすい事実がヤマハのホームページに綴られていました。

「ヤマハの歴史は、創業者・山葉寅楠と1台のオルガンとの出会いからはじまります。」
というわけで、ヤマハブランドの商標「YAMAHA」は、洋楽器製造の先駆者である創業者・山葉寅楠さんの姓に由来するそうです。
1888年(明治21年)に山葉さんは浜松で日本最初の本格的オルガンの製造に成功します。
翌年には山葉風琴製造所を設立し、一度解散しますがすぐに山葉楽器製造所を立ち上げるのでした。
山葉寅楠さんの死後は2代目社長に天野千代丸さんが就任します。
大正5年頃のはなし。
大正10年には陸軍の要請により航空機用の木製プロペラの製造を開始し、プロペラの実験用からエンジンも製作するのでした。
軍備拡張の影響も強かったのでしょうが、きっと製造工程のノウハウが必要だったのでしょうね。
これが後に活きることになります。
そうです。
ご存知「ヤマハ発動機」に至る事業となったのでした。
しかし、そこへ至るには幾多の困難が待ち受けておりました。
「非オーナーでありながら経営者の世襲」という問題を生じた川上親子3代の経営に始まり、時勢も戦時の雰囲気を強めつつ、陸軍管理下の軍需工場となり、金属プロペラの生産を行い大工場とされるのでした。
戦艦の射撃によって浜松工場は全壊。
それでも終戦すぐにハーモニカなどの製造を開始します。
その甲斐もあって、1954年にはヤマハ・YA-1(愛称は赤トンボ)の製造を開始し、1955年7月には二輪車部門を独立し「ヤマハ発動機株式会社」としました。
調べてみれば現在は、楽器・自動車関係のみならず、スポーツ用品や半導体、過去にはリゾート事業も展開していたそうです。
全く知りませんでした。

ついでにマークについて

ヤマハ株式会社の前身である「日本楽器製造株式会社」設立の翌1898年、社章として「音叉」が、商標として「音叉をくわえた鳳凰図」が定められたのだそうです。
それ以来、さまざまな「音叉マーク」を経て1967年に統一されました。
と書きながら私は「音叉 おんさ」というものをよく知らなかったので調べてみました。(写真)

音叉(おんさ)とは特定の高さの音を発する2又に別れた金属製の道具のことだそうです。
調律のために使います。
もちろん楽器ではありません。
当たり前のことすみません。

てことで、私的にパッと見どちらかといえばバイクのイメージの強かったあのマークは実は音楽からだったのでした。

個人的に好きなマークです。
かっこいい。
でもそれはバイクらしくない音楽から来た鋭さのせいかもしれませんね。
兎に角今回一番驚いたのは、「ヤマハ」が苗字であったことに尽きるのでした。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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