「大日本帝国タクシー」 の由来
一日に二度タクシーに乗った。
そのような生活が当たり前の人は世の中に五万といるだろうけど私の人生ではもしかしたら初めての経験かもしれない。
それくらいタクシーがあまり好きではない。
たぶんタクシー=アコギみたいな勝手なイメージを持っていることと、タクシーに乗れるほどの裕福さがないからだろう。
学生の時分などは、数十円が惜しくて次の駅まで歩くといったことをよくした。
アルバイトの時には帰りが遅くなるとその日のバイト代以上のタクシー代を払って家に帰ったこともある。
もちろん会社が支払ってくれるわけだがどうにも腑に落ちなかったものだ。
■「大日本帝国タクシー」の由来
「大日本帝国」という言葉をご存じだろうか?
東京都23区と武蔵野市・三鷹市を営業区域とするタクシー会社四社は営業組織を形成しているらしい。
「東京四社」とか「東京大手四社」と呼ばれているのは大和自動車交通、日本交通、帝都自動車交通、国際自動車、の四社。
その頭文字「大」「日本」「帝」「国」を繋げると「大日本帝国」となり、業界関係者の中では有名な裏の呼び名であるらしい。
なんだか時代錯誤な感じがするけどいったいどういうことだろうか。
その理由を知るにはやはり歴史を勉強しなくてはならない。
日本で最初に法人タクシーが誕生したのは1912年、大正元年のこと。
料金メーターを装着したT型フォード6台で「タクシー自働車株式会社」がスタートした。
物珍しさからか、大変人気があったようだが第1次世界大戦が終わると業界に不景気がやってくる。
「流し」や市内1円均一を売りにした「円タク」といった今までにない営業スタイルのタクシーが登場。
そのため料金が70種類以上もあり、苦情が多かったらしい。
そういった状況を見かねて警視庁が都内のハイヤー・タクシー会社の代表を集め将校の立ち会いのもと都内で営業していた4500台のハイヤー・タクシーを4社に集約し、1社1000台以上を確保するように命じたのだ。
ちなみにその時は56社が軒を連ねていたというから大揉めだったことだろう。
そうして4社は生まれた。
気になるその名前について確証はないようだが、太平洋戦争に突入した時代背景を考えると「大日本帝国」という名前をつけたことは意図的と考えざる負えない。
もちろん戦後になると4社以外にも様々なグループが生まれるが、山手線内は現在も大日本帝国が中心で回っているようだ。
全国のハイヤー・タクシーの総台数は24万台以上あるという。
その約2割が都内で営業しているのだとか。
さらにその2割10000台ほどが大日本帝国のタクシー。
未だにその影響を残しているというわけだ。
私がタクシーを好まない大きな理由が確認できた。
サービスがまちまちで、当たりはずれが多い。特に地方にその傾向が高い気がする。
今回利用したのは都内で、確か「帝」のマークが載っていた。
初乗りの違いが数十円あったが特に嫌な思いはしなかった。
それも大日本帝国組織のおかげなのだろう。
最後に知っていると役に立つ豆知識を手に入れた。
それは、どうせ乗るのなら黒塗りのタクシーの方がお得というもの。
簡単に説明すると、黒塗りのタクシーは車両の質が高く、優秀な運転手を乗務させる会社が多いというのだ。
通常よりも高級車種を使っていることが多く、特別の試験をパスした運転手でないと乗務させないらしい。
今回の件を思い起こしてみると、最初は黒、2度目は黄色に乗車。
黒の方が初乗りが数十円高かったが黄色より断然接客がよかった。
それほど乗らない私だが、乗る時は必ず黒を選ぼうと思う。
ケチな私だがサービスにはうるさい。数十円で嫌な思いをするくらいなら最初から乗らない方がまし。
どうせ乗るならサービスに間違いのない黒。
ほんと嫌な客だよね。
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