「行水(ぎょうずい)」 の由来
生きていく上で一番大切なものはなんでしょうか。
テレビと答える人もいるでしょう。
車を大切にしている人も有るでしょう。
仕事と答える人もいるでしょう。
定年後に路頭に迷う人がそれを証明しています。
家族と答える人もいるでしょう。大切な答えです。
質問を変えてみましょう。
無人島で生きていく上で一番大切なものはなんでしょうか。
最近よくあるバラエティ番組の企画です。
こうなってくると上記の答えは裕福なオプションであることに気がつきます。
住む場所がありません。話す相手がいません。
火が使えません。道具は自分で製作しなければなりません。
食べるものがありません。
見つけたとしてもそれが安全かは確実ではありません。
そして誰しもが同じ行動に移るのです。
それは「水の確保」です。
もちろん飲むことでしょう。そして洗うことでしょう。
食べ物が見つかれば煮ることでしょう。
怪我をしたなら清潔にするために洗浄することでしょう。
そして気づくのです。水が生命保持の「ゼロ」であることに。
行水とは
行水という言葉があります。
入浴の一形態のことで、桶やたらい等にお湯や水をそそぎ、それを浴びて体を洗うことを言います。
家庭用給湯器が普及する以前、20世紀の末頃、体を清潔にするための行為としてよくみられました。
今ではあまり見られなくなった金ダライなどに下半身を漬け、手桶で肩から水を流したり、盥の水に浸した手拭を絞り、体を拭う。
皆さんも映画やドラマでなんどか見かけているはず。
容易に想像がつくことでしょう。
もちろん通年このスタイルであったわけですが暑さをしのぎ涼を取るためにも行われたため、夏の季語とされているそうです。
有名なのは「カラスの行水」でしょう。
これは入浴時間の短いことの例えとして用いられます。
カラスは毎日水浴びをしていてけっこう丁寧なんですが、時間は短い。
このことにかけてこのような言葉ができたようです。
私も小さいころは入浴が面倒くさいほうだったのによく言われていました。
行水の由来
由来は仏教用語からなのだそうです。
古代インド言語にバーリー語というのがあったそうで、この言葉の「鉢から手を離して」を漢訳しようとした時「手白斟酌。食訖行水。」と書いたそうです。
意味は「自ら手に水を汲み。食事の後に終えて手を洗うこと」となります。
そしてこの行為の意味するものとして「行水」の字が当てられるようになったのだそうです。
日本では神仏に祈ったり、神事・仏事を行う際に身を洗い清めることを言うようになり、更に単に手を洗い、口をすすぐのみでも行水と称されるようになりました。
神・仏に失礼のないように身を清める。
一日の汚れを落として明日に備える。
汚れ、穢れを落としてくれるものは「水」以外ありえないのです。
それが私の言う「ゼロ」なのです。
定年者A - 2011年6月26日, 8:00 AM
宇宙物理もやっとzeroを広く認識しています。物事の始まりはzero 無から有、つまり、有は無から生まれる。真空から生まれる。
それが私の言う「ゼロ」なのです。本質を知りたいです。