「狛犬(こまいぬ)」 の由来
似て非なり。
神社とお寺の違いというのは日本人にとって曖昧な感じがする。
しかしそれは世界の宗教観からいえば極めて異質なことなのだろう。
例えばインドとパキスタン。仏教とかヒンズー教とかそれほど詳しくはないけど国境の接する二つの国はその宗教の違いでいつ着火してもおかしくないような緊張関係。
今の日本人の宗教観というのは、この国の人独特の曖昧さとおおらかさそこに千年を超える歴史の経緯がそうさせたと思われる。
■「狛犬(こまいぬ)」の由来
例えば今日取り上げる狛犬はというと私は神社独特のものかと思っていた。
しかし現実はそれとは程遠い。
その風貌が示している通り、空想上の生き物である「獅子」がその原型となりその獅子はというともちろん大陸、たぶん中国辺りでで生まれたものと思われる。
起源はおそらくインドや中央アジアに棲息していたライオンであろう。
日本に狛犬の原型である「獅子」が伝わったのは飛鳥時代。
基本的に一対でおかれることが多い狛犬、伝わった当時は一対の「獅子」であったようだ。
それが平安時代になると、それぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになる。
「左に獅子、右に狛犬」を一対としていたようだが、
現在では獅子と狛犬の違いはなくなり、両方とも「狛犬」と呼ばれるようになったというわけ。
ではなぜ狛犬という名前と概念がうまれたかというと、そこには中継点となった朝鮮が関係しているようだ。
それはその時代の朝鮮の国名である高麗(こま)。
「狛犬」とはつまり「高麗犬」と考えるとなんとなくしっくりくるのではなかろうか。
こういった事実はある意味で、それより前から日本に存在していた神社からいうと不都合な真実と考えられるがそのことについての発言があるので紹介しよう。
明治神宮では、日本人が異様な形の生き物を犬と勘違いし、朝鮮から伝来したため、高麗犬と呼ばれるようになったと説明。
神道学者の梅田義彦さんによれば、朝鮮が日本の犬だから日本の神社を守るために配置したものだとしている。
後者についてはまたまた火種になりそうな発言ですね。
さて少し見方を変えて古代インドでは、仏の両脇に守護獣としてライオンの像を置いたというのは紛れもない事実。
それが西へ行くと古代エジプトやメソポタミアでの神域を守るライオンの像につながるわけだ。
それが更に時代を遡ると今に残るスフィンクスとなる。
狛犬は中国のマネではなくエジプトの流れだよと説明すると我々も納得できるのはそれがスフィンクスだからという理由だけではなく隣国でもご近所お隣さんでも、普段から密に顔を突き合わせなくてはならない関係性の中ではお互いの共通項を探すことよりも、お互いの違いの方が際立ってしまうというよい例なのかもしれないですね。
しかし日本のように異文化が混じり合って今に至るという神社とお寺のような例は世界でも探せばたくさんあると考えられるので世界平和的な考え方も物事の見方を少し変えるだけでもなしえるのかもしれないよといった希望の持てる終わり方に今日はしてみる。
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