Photo By Amazon.co.jp:ケラケラじゃんけん
「野球拳(やきゅうけん)」 の由来
歌い踊りながらじゃんけんをする宴会芸、野球拳(やきゅうけん)。
一度はやってみたいと思いながらいい歳になってしまいました。。。
きっとハレンチツアーの○○コンパニオンといった遊びを嗜まれる皆様はご経験のことでしょう。
「野球拳」の由来
野球拳(やきゅうけん)
その起源は意外に古く、幕末時代の横浜といわれています。
当時の最先端、流行の発信地だった横浜の遊郭では、「横浜拳」「横浜南京拳」と呼ばれていたとか。
この横浜拳が愛媛県松山の遊郭に伝わり、松山では郷土芸能とされているという。
その伝わり方が面白いので紹介しよう。
1924年、伊予鉄道電気野球部は高松市で高商クラブとの野球の試合を行なった。
結果は0-6での完敗。
試合後、旅館で対戦相手との懇親会があったのだが、伊予鉄道電気野球部はそこで相手から勝利を勝ち取るべく策を練る。
昼は負けても夜は負けられない…!!!
野球部のマネージャーをしていた川柳作家の前田伍健さんのアイディアで「元禄花見踊」の曲をアレンジし、即興で作詞・振付けをした野球拳がつくられる。
そうして(昼の負けはともかく)夜の勝負に勝った一行は意気揚々と凱旋。
松山の料亭での「残念会(本番は負けたのだから)」の場でも気分よくこの野球拳を披露。
以後、宴会芸の定番となり、それが愛媛県全体に広がっていったというわけだ。
1954年には、野球拳の歌がレコード化。
「松山まつり」でも取り入れられ、1970年には各団体の踊りのグループが街を練り歩くほどにまで成長。
確実にその知名度を上げ、郷土芸能にまで成長したのだ。
本来は三味線と太鼓の伴奏に合わせて歌い踊り、じゃんけんで勝敗を決する遊戯であったが、テレビのバラエティ番組の影響で、じゃんけんで負けた相手の服を脱がせるゲームとして広く知られ、お色気ゲームとして今に伝わっているというわけだ。
さすが野球部、今も昔もスポーツ文化の最先端をいっている。
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