桔梗屋(ききょうや)の由来

Photo By 桔梗屋東治郎

「桔梗屋(ききょうや)」 の由来

どこかで聞いたことのある会社の名前。
どこだっけどこだっけ・・・
ネット通販のお菓子屋さんだったか・・・
間違いなく利用したことはあるはずだけど、思い出せない。

その会社とは桔梗屋(ききょうや)。
最近工場見学が人気を博しているのだとか。
早速検索してみると、他にもアウトレットに詰め放題と検索キーワードがすぐに出てくる。

そうでした、桔梗屋といえば信玄餅。山梨の代表銘菓でしたね。
私も何度もお土産でいただいて食べたことがありました。
粉もの餅ものということで、食べ辛くないような工夫がされています。

それはあのラッピング。

粉が飛んでも汚れないように、蜜がこぼれても染みないように、風呂敷のようにビニールをしき、その上で食べ、終わったらそのままひとくるみしてゴミ箱へ。
なんとも上手にできている。
ミツの粘々、粉のパラパラ、餅のもちもち、その三つの絶妙なハーモニー。
実は私はきな粉があまり好きではないので、苦手なのだけれど。

でも、上記のようにこの銘菓を評価しているわけです。
この人気商品を目当てに、工場見学には朝から長蛇の列。
見学後にはアウトレット品を吟味して、最後には詰め放題。
なんともよくできていて、富士山観光のバスツアーなんかにはもってこいの企画ですね。

「桔梗屋(ききょうや)」の由来

記事をまとめながらなんとなく閃いてしまいました。
武田信玄に桔梗・・・そうか、もしかしたら武田家の家紋か!
と持ち上げといてなんですが、それは大きな誤りのよう。

武田家の家紋は四つ菱の武田菱。
桔梗はなんと、かの有名な裏切り者、明智家の家紋だったのです。
明智家を含む土岐氏の本拠である土岐市の市の花とのこと。
甲斐武田、つまり現在の山梨県付近との繋がりは何もありませんでした。

桔梗屋とは単なる屋号で、実は信玄とは何の関係もなかったのです。
ありがちな、信玄が愛した~みたいなフレーズももちろんありません。

なんせ創業は明治の初めのころ。
桔梗屋本店を名乗るお店は、「横町の桔梗屋」と呼ばれていたといいます。

その後、小尾家の経営により発展して、支店、分店が開設。
大正、昭和と時代が移り変わっていく中で、第二次大戦を境に他の桔梗屋は閉店や転業を余儀なくされます。
結果、若松町の桔梗屋が甲府の本店となったという他所とは一風変わった流れなのは特徴的。
桔梗信玄餅の大ヒットは昭和40年代に入ってから。
現在は山梨県内に直営店の「桔梗屋東治郎」「花菓亭」を25店舗展開しているのだそう。

うまいね!
味だけじゃなくて戦略・経営がうまいね!
きっと信玄も真っ青。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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