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「早稲田」 の由来
どこの大学でもいいから入れてやるよと言われても、多分この学校の名前は私の選択肢にない。
なんだろう、大学というのはそれぞれに持つ独特のイメージというものがありません?
東大はもちろんトップというイメージ。
明治なら遊び上手とか、上智は女子受けがいい。
慶応と言えばエリート、学習院なら皇族、駒沢は駅伝…まぁそんな感じ。
いわゆる六大学というものがあって、そこに入れればある程度の将来が約束されるのだろう。
この大学も、もちろんその中一つ、しかも上位にランクされていて鎬(しのぎ)を削っている。
だけど、ありきたりが嫌いな、定番が苦手な私にとっては何となくこの名前がピン!とこない。
なんとなく垢抜けないのは、その漢字からのイメージなのか。
「早稲田」の由来
早稲田大学の前身は、明治15年10月21日に創設した「東京専門学校」。
当初は、創立者である大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村にあり、校舎が同郡戸塚村にあったことから、「早稲田学校」「戸塚学校」と呼ばれていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられたのだそう。
しかし、程なく専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれることが多くなり、専門学校から大学への昇格したことを機会として早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称されたそう。
「早稲田」という地名の由来は、水田や稲作から来ている訳ではないという説を見つけた。
新宿区早稲田は古くは小さな川が入りくんだ地形になっており、「わせ」は裂(わざ)くとか「わざわい」の「わざ・わさ」からきているとか。
田は場所を表す処(と・た)で、高田馬場の高田も高い場所のことを示しているというのがその説。
だが、一方でその入り組んだ地形から水稲の田圃が多くあり、凶作に備えて普通の田植えより、早い時期に植える田があった事から早稲田と言うといった説もある。
どちらが正しいのかはわからないが、その地形からとったのかその用途からとったのかといった違いなのでそれほど気にする必要もないだろうか…
さて、「都の西北」ブランドの凋落が止まらないという記事を見つけた。
かつては志願者数でダントツのトップだった早稲田大学だが、最近は近畿大学、明治大学に次ぐ3位にとどまるという。
偏差値でも慶應義塾大学との差は開く一方だとか。
極めつけは早慶両校にダブル合格した受験生の8割が慶応を選ぶというデータの存在。
いまや多くの受験生にとって早稲田は慶応の“滑り止め”らしい。
理由はなんだろう…私のような阿保にはわからないだろうな。
名前が少しダサく感じるのは、下がってきたからなのかそれともその漢字からなのか。
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