Archives 1月 2012 – 2ページ目 (2ページ中) – 由来メモ

「ローソン」 の由来

ローソンの前を通ったら面白い看板が追加されていました。 「野菜・果物」あのブルーの看板の脇にこの二つが追加されていました。 コンビニといえば即席料理や弁当おにぎり、雑誌にお菓子といったものが定番だし我々もそれを求めて買い物に寄るものだと考えますが、最近は事情が違うようですね。 いつだったか寄った店はお弁当もその場で作るほか弁スタイルでしたし、デザートなども高級感を出すためにスイーツに名前を変えて各社が競い合っています。 何か一つを求めて足を止めさせるといった意味では、店の場所も重要なようです。 最近はコンビ二業が生まれて数十年。建替えの時期に差しかかっており、御馴染みの場所からより集客力のある便のいい場所への移転が目立ちます。 いくら大手のコンビ二チェーンであっても店舗独自の色を出してリピーターを増やす努力が求められているようです。 今日寄ったこちらのローソンでは温かい飲み物だけを買うつも... »

「うんこ」 の由来

お食事中の方、汚い話でもうしわけありません。 そんな私も食後30分という圏内ではありますが、、 「ウンチ、ウンコの語源は何か?」 私はけっこう平気なんですね。 というか我が家はけっこう平気なほうといいましょうか・・ 下ネタって笑いをとりやすいし、カレーでもなければそれほど想像もしない。 それと・・言い方なんでしょうかね。 大便とかいうと何となく臭い臭いが充満しますが、特に子供などが「うんち」などというと、何となく笑いと微笑ましさが残るのです。(そんなことないですか?) それにこの「うん」が何となく下品というショックを和らげるというか、「運」に通じるの、ならなんなら言葉にするとラッキー感も見えてくる。 それでもわざわざ食事中に連呼するような人も居ませんがね。 ■「うんこ」の由来 「うんこ」は大便をいう幼児語なのだそうです。 だから言い易くてカワイらしくて食事中でも和むのか!と若干ここまででも... »

「餃子」 の由来

我が家では家族共通の大好物があります。 それは「餃子」であります。 幸い近くに餃子で有名な宇都宮の専門店の支店があるのでそちらに足しげく通っております。 一皿確か・・・220円程度で六個。 調理法が三択、焼き餃子・揚げ餃子・水餃子とあり、他のメニューといえばご飯とビールくらい。 それでも商売が成立するという事実がいかに美味しいかというのを実証しているといえましょう。 数人で訪れても一人いいとこ1000円程度。 お財布にも優しく、満腹感・満足感が得られます。 スーパーなどには申し訳ありませんが、この安さと美味しさを知ったら他では買えません。 もちろんお持ち帰りもあるので、「冷凍〇人前」とほとんどの客がお持ち帰りするのでした。 「餃子」漢字を見てもわかるように、中華料理であることは間違いないわけですが 昔からの疑問。 なぜ限りなく日本人に近い発音の「ぎょうざ」なのか、餃子好きの威信にかけて今日... »

「夜なべ」 の由来

「かぁ~さんがぁ~ よなべ~をして」 私も現在これを夜なべ作成中です。 夜なべにはいくつかの由来があるとされています。 一つめは誰でも単純に考えるであろう、「夜鍋」説。 夜仕事をする時、鍋で物を煮て食べながらしたということ。 でもよくよく考えて見ると、仕事中に(どんな仕事かは知らないが)団欒で楽しむべき鍋をつついて楽しいだろうか?という疑問が湧き出てくる。 更に夏であったならそれはかなりしんどい。 調べてみても具体的な話もないので信憑性は薄そうである。 次に「夜並」(よなべ)からという説。 「夜並」説は、夜を昼に並べることからきたとするもの。 はっきり言おう。 意味が分からない。 いつ頃できた言葉かも不明だがもちろん最近ではないことは確か。 セブンイレブンもないのに今のように昼夜逆転の生活をしているひとなど 数十年前でも、もちろん少なかっただろうからどう考えても並べるのは不自然。 そうか・... »

「おっちょこちょい」 の由来

人の力量とは生まれながらに決まっている気がします。 私の持論としては人はそれぞれ100は最初に持っていて、それをどう振り分けられるかが遺伝情報であるということです。 例えばおしゃべりの上手な人はそこに50パーセントが費やされ、残りの50に他の能力が振り分けられる。 だから記憶力が人より劣って見えて、忘れ物が多かったり、想像力が足りないから同じことを何度も話していたりといった具合です。 それが顕著に見られるのは知的障害者と呼ばれる子供たちです。 確かに彼らは世間一般的な社会適応能力は劣っていますが、その分純粋さと創造性、集中力が勝っているので、根気の要る作業や、道徳認識力、そしてよく見られる音楽や芸術の才能で一般人(常人)を魅了するのことでしょう。 また、目の見えない人、鼻の利かない人、目の見えない人もしかり、五感という人間の必要不可欠と思われる能力の欠如した皆さんはそれを補うかのように、第... »

「ほとぼり」 の由来

人の記憶とはたかが知れています。 大きく心を動かされても、ノートにメモしたり心で何度も繰り返したり、日々そのことを心がけ続けていないと忘れてしまうものです。 でも、だからこそ、生きていられるのかもしれません。 人生いいことばかりではありませんからね。 大きく傷ついたとしても、一度眠るとその傷の半分ほどは癒え更に数ヶ月を過ぎると大概のことは忘れてしまうものです。 だから経済もまわるのでしょう。 どんなに欲しい物があったとしてもそれを手に入れて最初の感動さえあれ、一年も経ちローンも終わった頃には次のものが欲しくなります。 それでも大きな過ちを犯したときには、たくさんの時間の経過が必要です。 その時間の長さがその罪の大きさとも言えることでしょう。 それをよく「ほとぼりが冷める」といいます。 私にもそろそろ冷めてきたほとぼりがあります。 冷め始めて思うのは、自分が思うほど世間の人は憶えていないって... »

「割り勘」 の由来

細かいことを言うときっとケチとかガメツイとか、そんな風に裏では揶揄されることでしょう。 それもあって私は勘定が苦手です。 もし男女であったなら三択となります。 男が払うか、女が払うか、割り勘か。 男が払うは、男の見栄と下心が見え隠れします。 女が払うは、財布を共にする夫婦間では当然と言えますが、二人の関係次第では周りからみてあまり快くは思われないかもしれません。 当然ながら割り勘という選択肢が出てきますが、二人の付き合いが長く新密度が深いほどそれは不自然に感じます。 三人以上であったなら食べるものも飲む量も違えば、割り勘にするにも完全な割り勘にはならず不公平感が出てきます。 更に気を利かせた会計係の財布は小銭の山なんてことも。 やっぱり私は会計や勘定は苦手です。 ■「割り勘」の由来 割り勘は、「割前勘定」が略されたものなのだそうです。 「割り前」の「前」は、三人前とか分け前といった、相当す... »

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