「ヰセキ(ゐせき)」 の由来
農業機械の生産高は、クボタ、ヤンマーに次いで日本第3位の「ヰセキ」。
ブランド名が「ヰセキ(ゐせき)」なのだそうで、井関農機株式会社が正式な会社名。
その歴史は1926年、愛媛県松山市で井関邦三郎(いせき くにさぶろう)さんが「井関農具商会」を創立したことに始まる。
つまり「ヰセキ」は創業者「井関」さんの苗字からきている。
失礼ながら馴染みの薄い苗字。
調べてみると全国順位1,481位で全国にはおよそおよそ11,600人がいるらしい。
一万人以上いるということは探せば近くにもいるかもですね。
現在は三位に甘んじているヰセキですが、かつてはその農業機械の開発で一世を風靡しました。
1960年代、日本の稲作に適した田植機、コンバインの開発競争の際には他の追随を許さなかったと言います。
コンバインでは日本型のコンバイン「HD50」を最初に開発。
これは自脱型コンバイン、つまり稲や麦を刈り取りながら脱穀する機能を備えたもので現在のコンバインのほとんどがそうであることからも、その技術の高さが伺いしれます。
70年代には田植え機「さなえ」シリーズを発売。
この名前には農業に関係ない生活を送ってきた私でもなんとなく聞き覚えがあります。
しかし80年代となると経営危機を迎え、創業家一族の撤退がありました。
そこから立ち直り2004年には17年ぶりに配当の出せる決算を迎え現在に至ります。
やはり創業一族での長期経営は難しいようですね。
あのサントリーも、とうとう社外から社長を迎えることが決まったようです。
新浪元ローソン社長のもと、鳥井一族もノウハウを学習し、次期社長には復帰したいとのこと。
もちろんそうなるかどうかは努力次第とか。
難しい経営判断ですが、株式会社となった以上は仕方ありませんね。
でも会社名が創業者の名前であるいじょう、どちらの会社にも頑張ってほしいものです。
最近のコメント