Archives 11月 2014 – 由来メモ

「蜜柑(みかん)」の由来

「蜜柑(みかん)」 の由来

パッションフルーツやゴーヤー、マンゴー等の南国で採れていた野菜や果物が、関東近辺でも採れるようになっているのを皆さんはご存知でしょうか? それだけ温暖化しているということは説明の必要もないでしょう。 かといって、味がいいかは別問題ですよ。 どれもやはり現地で食べるから美味しい気もしますよね。 料理の仕方もそうだし、付け合わせにしても慣れている方々の食べ方は的を得ています。 お米が北海道で採れるようになっているのをご存じでしょうか? もちろん昔から取れてはいたのでしょうが、味が年々よくなっていると言います。 あの広大な北海道の土地が稲作の「適地」となっているのです。 本土はたまったものではありませんね。 日本一のお米は新潟魚沼産というのは周知の事実でしょうが、今現在本当に魚沼が一番かと言うと私は少し疑問に思います。 もちろん温度だけでなく、環境や水質なども味を左右するもの。 同じ魚沼でも場所... »

「面目(めんぼく)」の由来

「面目(めんぼく)」の由来

”面目丸つぶれだよ。” SNSって誤解が起こりやすい。 詳しく書いても、内容をどんなに説明しても相手によっては別な受け取り方をしたり、それがきっかけでお互い揚げ足を取りあい、更に話がこじれたり。 会話が残ることもよく考えて書き込みたいものである。 あるグループ同士で共通の課題が出されたケース。 私も一方の人間で参加しており、情報を共有するためにグループ同士の掲示板を立ち上げ、そこで情報のやりとりを行った。。 それほど力を入れていなかったので、興味ある項目だけ読んだり、長いと要点だけ拾ったり… それが半月ほど過ぎたある日、その掲示板を覗くと、誰も入れないほど荒れていた。 一方のリーダーが吊し上げられて、もう一方の数人がそこに噛みつく。 周りが全く入り込めない最悪の状況。 私はリーダー側の人間だったが、お互いに非がある事を見極めて仲裁に入った。 お互いに考えさせることで冷静を促し、数日でなんと... »

「長者」の由来

「長者」 の由来

一度は載ってみたい長者番付。 でも、そんなところに載ってしまったら、色んな人にたかられることだろう。 最近は公開されなくなったのかな?もしかしてそんな理由から? よくよく考えてみれば、公開する理由もされてしまう理由もわからない。 そのくらい頑張ったと評価してくれる人はごく僅か。 ほとんどは嫉妬の渦の中にあり、そんな世間の白い目にさらされ、まさに百害あって一利なし。 よく遺産相続で長者番付に出てしまう人がいるが、それも羨ましいようなそうでもないような。 この国の法律は、財産も三代ほど相続すると大分減るような仕組みにできている。 そして、税金をたくさん納めても何のメリットもないこの国。 たくさん儲けても半分持っていかれるならそれほど稼がない方が得だろう… なんて私の意見なんてまさに負け犬の遠吠え。 そりゃあ無いよりはあったほうがいいのがお金。 長者と呼ばれたくないのか?と聞かれたらそりゃ呼ばれ... »

「ひょうきん(剽軽)」の由来

「ひょうきん(剽軽)」 の由来

最近はあまり使わなくなりましたね、この言葉。 ”ひょうきん(剽軽)” 使わなくなったせいか、我々はその意味を勘違いして記憶しているようである。 ひょうきんな人と聞いたなら、我々はその人を面白おかしいとかユニークな人と認識しないだろうか。 その意味を調べると、いくつか出てくる。 「気軽でおどけた感じのすること。また、そのさま。」とか、「人柄が気軽で面白いさま」といったように上記の意味+必ず「気軽」の二文字が含まれてくる。 気軽とは、こだわったり面倒がったりしないで行動に出るさま。 また、堅苦しくなくて、気がおけないさま。 といったように「おもしろい」とはまた別の表現となる。 だが、この気軽が実は「ひょうきん」の由来に関係するのである。 「ひょうきん(剽軽)」の由来 ひょうきんは中国から来た言葉。 その元々の意味は実は「素早い」だったのです。 それが日本に入ってきてから、特別な意味に変わって今... »

「ちょろまかす」の由来

「ちょろまかす」 の由来

悪い事をしているのに、そうと感じさせないのはこの言葉の持つ不思議な魔力。 ”ちょろまかす” その意味は、人の目を誤魔化して盗むんだり、数量や金額を誤魔化して儲けること。 また、言い逃れを言ってその場を誤魔化すこともいいます。 というわけで、類義語はきっと誤魔化す(ごまかす)。 その意味は、本心を見破られないように話をそらしたり、口からでまかせを言ったりしてその場や上辺を取り繕うこと。 でもその二つの決定的な違いは、ちょろまかすには漢字がないことではないでしょうか。 漢字がないことでその意味が和らぎ、より軽い感じで悪気がない様子を表現している気がします。 「ちょろまかす」の由来 ちょろまかすの由来は大きく二つ。 一つ目は「好色一代男」で知られる江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、また俳諧師であった井原西鶴の著作「好色盛衰記」に「ちょろまかす」が当時の流行言葉として紹介されているところか... »

だらしないの由来

「だらしない」 の由来

シャツをズボンに入れないのって、やっぱりだらしないですかね? そういえば、高校の同級生にTシャツをパンツに入れないと落ち着かないって人がいたなぁ…。 それもこれも小さい頃からの習慣で、所謂躾ってやつなのかもしれません。 私の場合はシャツをズボンに入れるのが苦手。 でもそれには理由がございまして… 実は私、足の長い線の細い子供でありました。 大学までレディースサイズでも入るくらいの華奢さ。 入らないデニムがないほど細くて、ウエストのsizeで履くと丈は詰めなくてもOKという嫌味な体型。 だからシャツをズボンに入れますと、なんとも滑稽な… 上半身がほとんどないのに足がやたら長くて全体が細い、まるで服を着せられた宇宙人。 そんなコンプレックスはもちろん、更にそこに親の教育から来ただらしなさも手伝って、シャツは出すものと思い込んで育ってしまったのです。 それでも、よく見かける背中から肌着のはみ出し... »

アースノーマット

「アース製薬」の由来

ネタ帳を振り返って「??」がでた項目「アース」。 あ、ネタ帳というのは由来を調べたいものを書き留めておくメモ帳のことなのですが、自らが書きこんだはずなのにそれを忘れるとは…だからネタ帳が必要なわけですがね。 「アース」といえば地球を意味するので、様々な名前に使われています。 いくつか思い出したものは、美容室のアース。 あの目を引く赤をドライブ中に見かけてメモしたとか… 次はテラスハウス出演のお笑いコンビ、地球。 芸名もマントル~とか、あまりにも大きな名前を付けたものだと。 しかし、これは地球という名前だったと思うのでこれも該当しないかな。 他にもバンドやら映画やら出てきたところで思い出しました! ”アースノーマット” あの、夏に蚊が寄ってこないようにしてくれる小さなポッドのような商品はアース製薬の商品。 なぜノーマットという名前かというと、マットを使う製品「アースマット」が先にあって、新製... »

「片付ける」の由来

「片づける」の由来

私には自分語というものがあります。 世間の人が標準的に使う言葉も、自分の感覚で他の言葉に置き換えてしまうのです。 世間が正しいと評価しても、私の判断が別ならそちらを用います。 世間が略しても、その略語がしっくりこなければ用いません。 面倒くさい奴ですね。 その判断基準の中の一つに「片づける」があります。 片づけるの別の言い方に「片す」があるのをご存知でしょうか。 この言葉に最初に違和感を覚えたのは関西圏の人。 関西圏でこの言葉を聞いたほとんどの人が違和感を覚えるようです。 逆に、関東圏の人たちは彼らの使う「片づける」を意味する「直す」に違和感を覚えます。 辞書によれば「なおす(直す)」は、元の(良好な)状態に戻す事・本来の状態に戻す事。 当たり前と言えば当たり前。 「片づける」とは意味そのものが違って聞こえます。 整理すると、西では「直す」「仕舞う」「片づける」を使い分け、東は「仕舞う」「... »

「サラミ」の由来

「サラミ」 の由来

親戚の子守を頼まれた。 断り切れない事情でもなければ願い下げの仕事。 いや、仕事ならまだいい。報酬も無い。むしろ逆に出費した。 最初はゲームで慣らして、打ち解けてきたから適当にテレビを見せる。 それにも飽きてきたようだからドライブに連れ出した。 お腹がすいたと喚きだしたのでコンビニに立ち寄る。 好きなもの買ってこいとおっぱなしたら、同じものを15個も持ってきた。 驚いた。だってそれがサラミだったから。 こんなものどこがうまいんだ? キリよく20個買って一つ口に放り込んでみた。 ンん…悪くはない。 けど腹の足しにはならない。 二つ目に手をかけながら隣に目をやると… すでに7個ほどのカスが散らばっている。 まるでホットドックの早食い競争。 小学校にもあがらない女の子がサラミを口いっぱいに頬張る。 悪い夢を見ているような一日だった。 私は三つしか食べられなかったが怒るどころか呆れ返ったのは言うま... »

「卓袱台(ちゃぶだい)」の由来

「卓袱台(ちゃぶだい)」 の由来

解体工事のお手伝いのバイトに行ったときに、中から懐かしい物が出てきて一瞬手を止めた。 それは卓袱台(ちゃぶだい)。 ちゃぶ台とは四本脚の食事用座卓。 若い世代にはご存知の無い方もいらっしゃることだろう。 一般的に方形あるいは円形をしており、折り畳みができるものが多い。 昭和初期の家族の団欒を象徴するシンボルとして取り上げられることが多いのは、その席に上下の関係があまり感じられないから。 でも、ひっくり返すのは親父の権限というのは完全に上下関係かも。 1920年代後半に一世を風靡したが、その後は停滞。 1960年代に入ると、洋室の増加により椅子式のダイニングテーブルに押されその地位は失われていった。 我が家にも「思い出の一品」として実家のどこかに一台くらいは残っていた気がする。 ところが、この解体中の物件からは大小様々なちゃぶ台が出てくるは出てくるは。 その数は最終的に9にのぼった。 しかし... »

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