Archives 2013年3月1日 – 由来メモ

「テントウムシ」 の由来

その見た目は華やかなので、一見幸せな虫のように見えますが、いざ捕まえて手にのせてみると、よく分からない液体を発してきたり忙しなく歩き回っては、逃げるように飛び立つ。 どうにもその存在が不思議な生き物、その名は「テントウムシ」。 ■「テントウムシ」の由来 名前の由来はその素行からきているといいます。 一度捕まえてみてください。 もちろん先ほど書いたように、いの一番に逃げ出すのですが、彼らは助走を多くとるのです。 飛び立つ時には必ず指先まで、(棒状のものなら必ず上にのぼる) 木の枝先などならその先端まで登ってから飛び立つのです。 そういった習性をを見た昔の人は、天への道を教えてくれる虫であると考え「天道虫」と名づけたのだと言います。なんとも浪漫のあるお話ですね。 しかし、その様々な憶測を呼びやすい名称からなのか、テントウムシにはお笑い芸人のそれにも似たたくさんの俗説があります。 点が十ある虫だ... »

「恵方巻(えほうまき)」 の由来

暦の上で春を迎える立春の前日、節分の日に関東では豆まきが行なわれる。 これは一年の災いを払うための厄落としとしての行事。 一方関西圏である大阪などでは同日に太巻きを「巻き寿司」「丸かぶり寿司」「恵方巻」と呼び、それを食べるイベントが行われる場合があるのだそうだ。 この太巻きの名称「恵方巻、恵方巻き(えほうまき)という言葉もいつの間にか関東にも進出してきてお馴染みになりつつある。 太巻きを節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながらかじる。 「目を閉じて」食べなくてはいけないとか、「笑いながら食べる」のが本当といった話もあるそうだが、地方性などもあるので一概にどれが正しいということはないそうだ。 具材は基本7種と言われるがこれにも特別な決まりはない。 大正時代から昭和時代初期には漬物が多かったと言われるが、それ以降から現在までは特定されていない。 その中でも、かんぴょう・... »

「黄昏(たそがれ)」 の由来

黄昏時(たそがれどき)、それは日没直後の暗くなった頃の時間帯。 なんとも寂しくなるのは動物なら皆同じではないでしょうか。 たそがれ泣きというのをご存知でしょうか? 夕方になると赤ちゃんがわけもわからず泣きだすのです。 別名「コリック」といわれ、諸外国でもよく見られると言います。 原因ははっきりわかっていないそうですが、日中の疲れなども関係しているようです。 ただ、これは一日で終わることはなく数日、さらには数週間続くこともあります。 親戚の葬式でそれが起きたものだからさぁ大変。 通夜の席は悲しみも忘れるほどのパニック状態。 当事者である両親も恥ずかしさを忘れるほど汗だくになって、いさめようとしますが全く止む気配はなく、一時間まるまる泣き続け記憶に残る葬式となりました。 全ての参列者が焼香を済ませ席に着いた途端ピタッとおさまったものだからその時は誰しも何らかの力の存在を確信したものです。 ■「... »

「真似(マネ)」 の由来

「真似 マネ」とは、他の人や物に似せることをいいます。 このマネは、動詞である「マネブ(学ぶ)」や「マナブ(学ぶ)と同じように「真に似せる」の意味から生まれてきたのだそうです。 最初が「ま」で始まる以外何の接点もないとおもっていた二つの言葉の意外な接点に驚きです。 ただ、「真に似せる」→マネ マネブ→マナブとなったのか「誠に習う」→「マナブ」→名詞形「マネ」 動詞形「マネブ」であったのかは分かりません 学ぶも真似も平安初期の同時期にみられだした言葉であることは間違いないようです。 ここで整理しておきたいのが、聞きなれない言葉「マネブ」。 皆さんはご存知かもしれませんが、私は初耳だったので調べてみると「マネブ」は、「マナブ」よりも学問をする意味は薄いそうで、模倣する意味で用いることが多いのだそうです。 「マネブ」は口頭語として用いられてきましたが、「真似る」が広く使われだすとその存在が薄れ、... »

「グリーンピース」 の由来

私は、グリーンピースってのが嫌いです。 ピラフに入っているのも、野菜コロッケに入っているものも、シュウマイの上に陣取る彼も苦手。 彩を加えたいという気持ちは理解できますが、あの食感から、味から、その存在を確認すると、「それほど主張しすぎることなくおとなしく黙っていて~」と叫びたくなります。 グリーンピースとは、マメ科の野菜エンドウのことです。 未熟の種子を食用としたものなのだそう。青実用エンドウ、アオエンドウ(青豌豆)、ミエンドウとも称します。 旬は晩春から初夏で、生豆として出荷されるものもありますが、ほとんどは缶詰と冷凍品に加工されるといいます。 ・・・何を好んで嫌いなグリーンピースについて深く掘り下げてしまっているのでしょう。 そんな今日の自分に疑問ですが、缶詰と冷凍品の加工されるという人生は少し可哀想かもしれません。 保存がきくとか、すぐに食べなくてもいい存在とか、非常食といった考え... »