Archives 8月 2014 – 3ページ目 (3ページ中) – 由来メモ

「落書き」 の由来

世の中には特別な能力をもった人がたくさん存在する。 ただ、それは一見無駄なように見えることもある。 でもその能力は必ずどこかで、何かの役に立つ。 ということを私はワンピースで勉強した。 中でも絵画関係には度肝を抜かされる。 人間自身をピカソ、シャガール、モネといった偉人たちの作品のような絵に変えてしまう。 立体を平面にしたり、色彩をありえ合いような色合いに・・・ マンガだけにやりたい放題だが、その発想力が素晴らしい。 最後はその特徴的な能力が災いしてやられていくわけだが・・・ ■「落書き」の由来 その一見落書きのようなタッチが漫画として成り立ってしまう。 いや、落書きはもしかして漫画の原点なのか・・・とも思う。 私は「絵」とくに漫画を描くのが苦手なので、そういった特技を持つ人を羨ましく思う。 誰しも自らが望む能力が必ず手に入るということはない。 文章が人一倍苦手だと考え、読書もあまりしたこ... »

「真剣(しんけん)」 の由来

世の中に蔓延するいい加減という風潮に一石を投じる。 いつ頃から日本人はこれほどいい加減になってしまったのだろう。 いつの時代からかといえば、やはり命の危険をそれほど感じなくなった頃からだろうか。 それはごく最近では戦後であると思われる。 平和という気運が人々を緩ませたのは間違いないが、それは決して悪いことではないだろう。 もう一つのいつ頃か?は成長段階での問題。 真面目に取り組むことをダサいと言い出すのはいつ頃かということ。 自分の頃はやはり第二思春期である、中学校の頃からだった。 バカで無駄で一途な小6の男の子たちがその態度を一変する。 勉強もスポーツも遊びも一生懸命取り組むということを恥ずかしいと感じる。 それは服装にもあらわれ、ボタンを留めないとかズボンやスカートをずらすとか・・・ 流行やオシャレとは言えない反抗姿勢からくる服装の変化。 そこで真面目にやれとか、ちゃんとしろなどと親が... »

「宿題」 の由来

なぜ学校でたくさん勉強しながらも、家に帰ってまで宿題をしなくてはならないのか? 小学校なら復習、それ以上(中学校よりも上)なら予習の意味合いがあるのだろうけど学校ですでに5時間以上学習しているのに、それ以上やらせるなんてクレージーだなんて思うのは私だけだろうか? 更に今の子どもというのは1人でいくつも習い事をし、そして極めつけは学習塾。 小学校も低学年から塾に通わせるのは常識らしい。 それならなぜ小学校になんて通わなくてはならないのだろう。 身近に何人か学校の先生がいるが、どこの家も子供に小さいころから塾通いをさせている。 もしかして学校ではまともな勉強は教えていないのか? それなら宿題も納得できる。自主的な学習を強要しなくてはならないのも理解できる。 学校は・・・基本的な社会生活を教える場所?いやそれは家庭ではなかろうか? ■「宿題」の由来 宿題は江戸時代の寺子屋から生まれた言葉と言われ... »

「質の悪い(たちがわるい)」 の由来

「たちが悪い」の「たち」を「質」と書くのはご存じだろうか? もちろん私は・・・知らなかった。 考えたこともなかったことだが、想像もしなかった答えに正直驚き。 物事の性質がよくないことを表す表現、それがたちが悪い。 まぁ通常使われるのは性格が悪いことが多いですかね。 陰口でも言わたくはないきつい一言! そう考えると「質」と書くのは妥当な気もするが、どうにも・・・読めない! 「たち」は元々から日本にあったいわゆる「やまと言葉」なのだそう。 「人や物の性質、傾向」の意味を表している。 後に中国から意味の似ている「質」の漢字が入ってきたというのがその流れ。 なんかこの展開今までになくて新しいね。 「質」に「たち」の訓読みがないのはそういったことからと考えられる。 では「たち」そのものがどこから来たかというと「立ち」とか「いで立ち」などと考えるのが妥当なように見えるが確証はないらしい。 でもそれ以外... »

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