「ジャニーズ」 の由来

これほど謎に満ちていて興味をそそられる人物もそうはいないでしょう。
それはジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さん。

ジャニー喜多川(ジャニーきたがわ、Johnny H. Kitagawa)
本名は ジョン・ヒロム・キタガワ (John Hiromu Kitagawa)、 漢字表記は喜多川 擴(きたがわ ひろむ)さん。
「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」また「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネスにも登録されています。
ではその人生を辿ってみましょう。

お父さんは喜多川諦道さんという方で、なんと高野山米国別院の僧侶でありながら同時にプロ野球チーム「金星スターズ(元・ゴールドスター)」のマネージャーをやるという異色の経歴の持ち主。
ジャニーさんは諦道さんの次男として、1931年にアメリカはロサンゼルスで生まれます。

太平洋戦争開戦後、日系人の強制収容により、父、姉、兄、そして弟と共にカリフォルニア州内に抑留されます。
その後、1942年に日本に渡り、両親の出身地である和歌山市に居住。
敗戦後には一家と共にロサンゼルスに帰国し、現地の高校に入学。ロサンゼルス市立大学を卒業後再来日。
上智大学国際部在学中の1955年バンドを結成し、芸能界へ参入するのでした。
とまぁ歴史に翻弄されながらの破天荒な人生を送っていたようです。

■「ジャニーズ」の由来

そんなジャニーさん、少年野球チームを結成します。
このチームの名が本人のニックネーム「ジャニー(Johnny)」からとって「ジャニーズ」。
残念ながら成績は振るわなかったのだそう。

しかし今と変わらず?怯まないのがジャニーさん。
その野球チームの部員から4名を選抜し、今度はバンドを結成するのでした。
名前はもちろん「ジャニーズ」(通称・初代ジャニーズ)。
いよいよ芸能活動のスタートです。
最初は渡辺プロのお世話になっていたそうですが、徐々に自社でバンドやアイドルグループを送りだすようになっていくのでした。
そうして今のジャニーズ事務所の原型がつくられていったのです。

なるほど、アメリカで生まれ日本との間を行き来し両国の文化を吸収して戦後の芸能界を渡り歩いてきたのがジャニーさん。
我々もよく耳にする*「YOU~ しちゃいなよ。」*という言葉。
その軽さから生まれる大きな事業が次々に成功に結びついてゆくのも、その人生を辿れば当然・納得かもしれません。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

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