「早苗饗(さなぶり)」 の由来

Photo By 田の神 - Wikipedia

「早苗饗(さなぶり)」 の由来

限りなく方言に近い気がしていたのですが、実は全国的に言うようですね。

皆さんは「さなぶり」という言葉はご存知でしょうか?
「さなぶり」とは簡単に言えば、田植えを終えた祝いのことです。

田植えを無事に終えたことを神さまに感謝し、人にも感謝し宴が催されます。
それほど盛大にやる一大行事なのか?と思われるかたも多いことでしょう。
手植えだった時代のことを考えると多くの人手を掻き集めて必死に植えた光景が容易に想像できます。
あの腰を曲げて植える姿は体験した人にしかその苦労はわからないことでしょう。
親戚、縁者、その他にもご近所と助け合うことでおそらく数週間はかけて行われたのではないでしょうか。
お疲れ会と考えたならば、当然行われてしかるべきではないでしょう。

今では機械化が進み、実際に植えるのはひとりかふたり。
そういったことからも、「さなぶり」は消えつつあるかもしれません。
兼業の私の実家では、休日に家族のみで行われますが、近くの旧家などを見ていると、いまだに一族が集まって盛大に行われているようです。

たとえ植えるのが機械に乗る一人だとしても、苗を運んだり箱を洗ったりとその他大勢の人々が小間使いに走ります。

「あんなに人力必要ですか?」とその家の長に聞いてみたところ、「賑わいだよ。あいつら皆、自分の家で食べる分の米だけほしいだけ。」
そんな会話が交わされました。現代っぽいですね。

祝宴は夜まで延々と続き、手伝ってもらった家の接待が続きます。
かえって呼ぶほうのが苦労が尽きないように私には見えました。
それも一族の絆と考えれば決して無駄ではないのかもしれません。
「さなぶり」は昔とは多少違ってきていることは確かでしょう。

「さなぶり」の由来

さなぶりは、「早苗(さなえ)振る舞い」が「さなぶり」になったと言われ、漢字も、早苗の御馳走(おもてなし)を意味する早苗饗と書きます。

ちなみに、田植始めに行うのを「さおり」と言うらしいのですが私もこれについては初めて聞きました。
「さ」は田植もしくは田の神のことも意味し、「さなぶり」は神さまが昇天することを意味する「サノボリ」の転訛といわれているようです。

それと実は地方ごとの呼称も色々で、私の知る「さなぶり」は東北や関東地方に多いとのこと。
四国から九州では「さのぼり」と言い、北陸や中国地方では「シロミテ」という呼び名もあるようですね。
この聞きなれない言葉、シロは植田でミテは完了とのこと。
この言葉から察すると、神様への感謝より仕事の終わりを表現しているようなので比較的最近出来た言葉のようであります。

田植えを始める日のお祝「さおり」の語源を調べてみると、やはり「さ」は田植もしくは田の神のことで「おり」は、やはり降りてくることを意味するようです。
神さまが降りてくる「さおり」をして、無事終えたら昇ってゆく「さなぶり」をする。
私が「さおり」を知らなかったように田植えでの神さまへの感謝は現代は薄れているようです。

台風、竜巻、地震、液状化、ここ数年の天候を見ているとこれから見直されるべき風習かもしれませんね。
いつも同じように、毎年同じように、米や野菜がとれることが当たり前という考え方はこれからは通用しなくなるかもしれません。

自然に感謝しましょう。
神さまに感謝しましょう。
先祖様にも感謝しましょう。

「さなぶり」で、目に見えない存在に仲介されて我々はお互いの理解を深め助け合って生きてゆくべきではではないでしょうか。




著者: tossie
居住地域:北関東 年齢:70年代生まれ 趣味:釣り、散策 言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。 ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。 プロフィール詳細 Twitterでフォロー

2コメント

  1. 空たね - 2018年7月3日, 6:30 PM Reply

    素晴らしい✨感動しました。

  2. ホシナ - 2020年5月24日, 4:59 PM Reply

    「さおり」と行事名を貴方が知らないのも当然で、そんな行事名ありませんから・・・「サ神」は、民俗学者の空想が生んだ俗説で、根拠はダジャレ以外にはありません。東北の一部に「ソオリ」「セオリ」「ソウリ」と言った行事があるにはあるのですが、これらの語源は白山信仰の盛んな地域で、竜神(水の神)である瀬織津姫の「せおり」から来ているもので、「サ神」ではありません。
    「サナブリ」は、「早苗・振り/振る舞い」で、山の霊力を帯びた早乙女が霊力を「振り」落とし俗世に戻ることから来ていて、そこから、田植えを終えた後の慰労行事の意味に変わりました。
    山の神は、春になると里に降りてきて田の神になるという民間信仰はありました。山の神を里に下ろす行事は「山始め」「卯月八日」などと言い、古くは禊払いをした村の女性が、山から花(ヤマブキや卯の花、ツツジなど)を持ち帰り、田の水口に供えました。これにより、山の神は秋の実りまで田の神として、稲の実りに助力することになります。なので、「サナブリ」は田の神を山に戻す行事ではありません。帰してしまったら、秋まで田んぼは神さまがいないことになってしまいますよね。
    「サ神」なんて神はいませんし、早苗も早乙女も「小さい・若々しい・初々しい」と言った意味の「さ」から来ています。和歌森幸太郎が広め、ネットで無尽蔵に拡散される「サ神」信仰の嘘は、本当に困ったものです。

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