「水(みず)」 の由来

普段は当たり前のように利用していますが、我々はいざという時に気付くのです。
これ以上に大切なものはないということを。
ヒトの体は自然と水分を欲します。
それがジュースでもお酒でもポカリでもお茶でもかまいませんが、本当に体が疲労してくるとそれが受け付けなくなってくるんです。
そんな時はおそらく冬ではなく真夏日でしょうから、コップに(ジョッキならなおよし)氷だけいれて蛇口を捻り、ただ黙ってその水を注ぎ込むのです。
「生き返る」必ずそう思うはずです。
水のすごいところはどんなにたくさん飲んでも冷やす以外にお腹を壊すことがほとんどないことです。
それは我々の体の中身に一番近いことの証拠となります。

先日夢のような町に迷い込みました。
川はもちろんのこと、当然ドブ水と呼ばれる裏の下水まで水は澄んでいて、所々に手洗い場や昔懐かしいガチャポン ポンプってやつが蔵の前の風情ある景色になじんでいるんです。
手を洗ったり顔を洗ったりする神社の手水のような場所が所々で見られて、夏の暑い時期などはそれを見ているだけでもでひんやり出来ます。
ただただ「清清しい」。
すべてが(汚れも罪もなにもかも)洗われる気がして、美術館のたまり水には優雅に魚が泳いでいるんです。
おそらく首都圏の飲み水より数倍キレイであろう水に。
水と「共に有る町」がそこにあったんです。
その町のすべてが清浄に思えました。
仕事途中の男性が小さな噴水のようなたまりにタオルを入れて顔を洗っています。
その清浄と水量がそうさせるのでしょう。
私のような観光客は「え!?」と思うことを地元のヒトは当たり前に行っているのです。
のどが乾いたらその辺の柄杓ですくった水を飲めばいい。
絶える事のない水資源。なんて裕福なことでしょう。

水の由来

旧仮名は「みづ」となります。
語源は諸説あるそうで、「満・充(みつ)」からであるとする説や、朝鮮語で水を意味する「ムル」からではないかとの説、「充足(みちたる)」「実(みのる)」「満出(みちいず)」などありますが、正確なものは不明だそうです。
朝鮮語とは信じがたいので、その他の中では「満・充(みつ)」が一歩有利な気がします。
でも水によって植物は実り、満ちるほどに出る水に我々は満ち足りる。
どれもそれなりの根拠を感じますね。
更に「み」が「身」のことで「生命」を意味し、「ず」は「繋げる」を意味するといった説もあるそうです。
「生命の源たる水」個人的にはこちらも一押しですが、「ず」で「繋げる」は若干苦しいかな。
そんな感じで奥が深いはずと確信した水でしたが、その井戸はそれほど深くなかったようですね。
久しぶりに残念でならない。



著者: tossie

居住地域:北関東
年齢:70年代生まれ
趣味:釣り、散策

言葉の由来を調べています。言語学者とか研究家ではありません。
ただの一般人です。記事は仕事の合間に書いてます。
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2コメント

  1. 匿名 - 2013年10月7日, 9:03 PM Reply

    朝鮮語ではないとする根拠が明確ではないと思います

  2. かりかり - 2017年9月27日, 9:07 PM Reply

    すごい勉強になりました。

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