由来メモ

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「いかつい」の由来

時代の言葉ってあると思うんですよね。
自分が若かったせいなのか・・
いやそんなことは無いはずです。
「いかつい」なんて昔は言わなかったはずです。
調べてみると、その意味は《ごつごつして、やわらかみがない》なのだそう。
そうか、自分の勘違いもあるのだなと思い直して(決して顔のことだけではない)
「いかつい」でネット検索してみたら、髪型・車・服・名前etc・・・そして顔と様々ないかつい物が出てきたんです。。
いかつい髪型で検索してみたら・・坊主かスキンそしてヤンキー。
いかつい車で検索してみたら・・アメ車とか改造VIPとか他には見かけないような形の車が。
いかつい服で検索してみると・・髑髏とかシルバーリングとかタトゥ、鼻ピアスが。
ついでにいかつい名前を検索してみたら・・鬼とか剛とかつまりはドラえもんのジャイアンみたいな名前が。
すべてがゴツゴツって訳でもない気がするのですが・・・
特にスキンヘッドとかツルってしてますしね。
要するにそういったイメージに対して、そのイメージを連想させるビジュアルに対して我々は「いかつい」といっているようです。
それが正しいのかどうかは由来を調べてみることにしよう。

■「いかつい」の由来

「いかつい」は、「いかつ(厳つ)」の形容詞形となります。
その「いかつ」については、「いかい」「いかめしい」の「いか」と同語源なのだそうです。
「いかい」・・・程度がはなはだしい。大層。大きい。多い。荒々しい。たけだけしい。
「いかめしい」・・・近よりにくい感じを与えるほど立派で威厳がある。
厳重である。物々しい。きびしい。 激しい。猛烈。盛大だ。すばらしい。
「いか」はその漢字のとおりのイメージでほぼ間違いないようですが、「つ」は何か?というとこれにはいくつかの説があるそうで「厳強し(いかつよし)」の略であるとか、古代の格助詞の「つ」とも言われているそうで、どれも確証はないそうです。
このように、厳しい、激しい、強いといったものが「いかつい」と言われることがわかりました。

更に別の角度からリサーチしてみると、大変な事実が判明しました。
東北では「いかい」→「いっかい」→「でっかい(おおきい)」と変化
関西では「いかい」→「いかつい」に変化したのではという憶測です。
この関西というのがキーワードで、元々「いかつい」は「恐い」「凄んでる」の意味で関西ではなじみがあり、《例を挙げると、安岡力也や梅宮辰夫は「いかつい顔」だそう》この「凄んでる」の意味が派生して「凄い」の意味になったというのです。
「凄い」は本来の意味には無いので、関西独自進化形ですね。

例えると、
Aくん「昨日牛丼五杯いっちゃったよ~」
Bくん「お前いかついな~。」
となります。
関西では主に男性が多用する言葉のようで、それは、いかつい人への憧れからきているようです。
そうなんです。
おそらく我々関東人が使う「いかつい」はおそらく吉本の芸人経由の言葉なのでしょう。
彼らが憧れる「いかつい人」同様に、彼らに憧れる我々が彼らの用いる「いかつい」を利用してしまっているのです。


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投稿者 としお カテゴリ 状態 コメントなし

「未曾有(みぞう)」の由来

「人類史上未曾有の大事件」
そんなこと本当にあるんですかね。
私は未曾有を連発したり、軽々しく使う人をあまり好みません。
でも若干羨ましく感じたりします。
その意味が、「いまだかつてないこと。きわめて珍しいこと。」という、ピーターパンや一寸法師や最近ならアバターのような未知の体験的な神秘性を秘めていたり、また、漢字三文字で使うとちょいとだけ頭がよく見えるからかもしれません。
そんなことを言い出すからきっとこうなるんです。
「想定外」
だから私に未曾有という言葉は馴染みません。

東日本大震災やそれに伴う原発事故。
政府や電力会社が口にしたのは「想定外だから我々のせいではない。」
それならアメリカのハリウッド映画はどうなるのだろう。
人類の滅亡に大災害にエイリアンに遺伝子組み換えによるミュータント想定どころではないでしょう。
人間の想像以上の映像がそこにはあるではないですか。
人間は絶えず脳に刺激を求めており、クリエイターはその欲求に答えようとその更に上の見たこともない世界を創造するのです。

そんな彼らを脅かす事件が起きました。
それは9・11同時テロです。
あれを想定外といったアメリカ人は果たしていたのだろうか?
いないでしょ。
なぜならそれはハリウッドで作られたたくさんの映画の一つ、
しかもCG時代なら低予算の部類に入るC級映画並みの映像だからであります。
タダ一つ違っていたのは、それがすべて虚構ではなく現実であったというだけ。
私自身もあれ以来ハリウッド大作から足が遠のいた一人です。
それだけ現実に置き換えられた空想世界並みの現象にはたくさんの見えないドラマがあり壮絶でありました。
そのことに今回気付かされたのは日本人ではないでしょうか。
しかし、まだ気付いてない日本人がいるようですよ。
それが想定外と言い切るエコノミックアニマルであります。
福島原発事故調査委員会の中間報告書をまとめた失敗学の畑村洋太郎さんは最後に、こうまとめました。

「想定」と「想定外」とは一体どのような含意を持った言葉だろうか。
「想定する」とは、考える範囲と考えない範囲を決め、境界を設定することである。
人間は物事を考えるとき、考える範囲を決めないときちんとものを考えることができない。
そこで、物事を考えようとするとき、どの範囲までを考えることにするかという境界を設定する。
この境界を決めた後は、その境界の内部について詳細に考えを進め、考えを作り上げていく。
それでは、境界はどのようにして設定されるのであろうか。
境界は様々な制約条件の影響を受けて定まる。
経済的な制約はもとより、社会的制約、歴史的制約、地域的制約等の様々な制約があり、その制約を満たすように境界が設定されていく。
これらの制約は、明示的に示されているものばかりではない。ど
こにも文言として明示はされていない、関係者間の暗黙の前提という形をとる制約も存在するということに注意が必要である。
一方、境界の外側については「考えない」と決めたことになるので、考えなくなる。
いったん想定が行われると、どのような制約の下にその境界が作られたのかが消えてしまう。
ことが起こった後で見えるのは、この想定と想定外との境界だけである。
境界がどのようにして決まったかを明らかにしなければ、事故原因の真の要因の摘出はできない。
今回の事故では、例えば非常に大きな津波が来るとか、長時間に及ぶ全交流電源の喪失ということは十分に確率が低いことと考えられ、想定外の事柄と扱われた。
そのことを無責任と感じた国民は多いが、大事なことは、なぜ「想定外」ということが起こったかである。
(畑村洋太郎 「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会、中間報告」505,506より引用)

はぐらかされているというか、いろんな方面に配慮して述べているのだろうけど私にとってこの話は非常に興味深く、単純に面白くて何度読み返しても飽きない。
更に皆さんも頭を悩ませるなら畑村先生の著書が良い。

「想定外」を想定せよ!―失敗学からの提言

このタイトルはすごい!しかも深い。
私の能力で言えることは、制約というものが想定を狭めており制約をつけて想定すること自体が無駄な想定ってことかな。
制約はあくまでちっぽけな人間の活動範囲で行われるものであり、大自然(地球)を想定するってことがそもそも無理。
まとめると不可能な想定。つまり「想定不能」なわけだ。
だからちっぽけな人間の「想定外」はただの言い訳なのでは?となってしまう。

■「未曾有」の由来

さてだいぶ話がずれたような気がしないでもないが、未曾有の由来を調べてみると、奇跡を意味するサンスクリット語の「adbhuta」が漢訳された仏教用語からきているのだそう。
「仏の功徳の尊さや神秘なことを賛嘆(感心して褒める)した言葉」なのだそうです。
それってすごく尊い言葉ですよね?
最初に書いた神秘性ってのも本来は近いところにあるようです。
不思議ですね。
我々の知る「未曾有」は悪い意味で用いることが多くないですか?
日本に入ってきたときには、漢字そのままに「未だ曾て有らず(いまだかつてあらず)」と訓読されて本来の意味で使われていたようです。
それが鎌倉末期になると転じて、善悪両方の意味で使われるようになります。
そして現代では悪い意味で用いることが多くなったとのことです。
無宗教国家の当然の流れなのか科学中心の文明に人々が汚染されすぎたのか、、
我々は人間は、ちっぽけな存在であることを今回の震災を機に見つめなおすべきではないでしょうか。
そして想定の範囲を超えるような科学は今一度立ち止まり、考え直す時期が来ている気がします。

世界はグローバルしすぎて狭くなってしまいました。
人類はこの狭い地球に70億人を超えました。
「人類の滅亡」という未曾有の危機も、私は最近身近に感じ出しました。
人類が目指すべき未曾有の世界は、「みんなが笑って暮らせる国」であってほしいものです。


失敗学のすすめ

投稿者 としお カテゴリ 状態,言葉 コメントなし

「おっちょこちょい」の由来

人の力量とは生まれながらに決まっている気がします。
私の持論としては人はそれぞれ100は最初に持っていて、それをどう振り分けられるかが遺伝情報であるということです。

例えばおしゃべりの上手な人はそこに50パーセントが費やされ、残りの50に他の能力が振り分けられる。
だから記憶力が人より劣って見えて、忘れ物が多かったり、想像力が足りないから同じことを何度も話していたりといった具合です。
それが顕著に見られるのは知的障害者と呼ばれる子供たちです。
確かに彼らは世間一般的な社会適応能力は劣っていますが、その分純粋さと創造性、集中力が勝っているので、根気の要る作業や、道徳認識力、そしてよく見られる音楽や芸術の才能で一般人(常人)を魅了するのことでしょう。
また、目の見えない人、鼻の利かない人、目の見えない人もしかり、五感という人間の必要不可欠と思われる能力の欠如した皆さんはそれを補うかのように、第六感が優れてきます。
より動物的本能に近づくとも表現できるでしょう。
そのため、危険察知能力に優れそれは「直感」に現れてきます。
そして、一般人(常人)には見えない世界が見えてくるのです。

といったことはもちろん私の想像でしかないかもしれません。
そんな私はどこが優れているかと申しますと、特に最後のほうでしょうかね。
更に空間把握能力であります。人が二メートルしか把握できないものが五メートルほど把握できるんですね。
そんな私にとって魅力的なのは足元しか見えない人。
すぐにつまずく「おっちょこちょい」な人。
そうなんです。
人間は無いものねだりを補いながらお互いに助け合って生きているのです。

■「おっちょこちょい」の由来

私からみるとこれ以上に魅力的かつカワイらしいものはありません。
「おっちょこちょい」とは、落ち着きがなく軽率な行動をするさまやそういった人のこと。言葉自体もかわいらしいですね。
でもいわれた本人はそれを自ら自覚すると共に
「気をつけながらもどうにもならない」というジレンマと絶えず闘っているようですよ。
おっちょこちょいは「おっ」と「ちょこ」と「ちょい」からなる言葉と考えられます。
「おっ」は驚いたときに発する言葉と同じ感動詞もしくは接頭語の「お」からきており、「ちょこ」はあちこちを動き回るさまを表す「ちょこちょこ」から「ちょい」については、僅かなことや簡単にできることを表す「ちょいと」と同じ「ちょい」からだそうです。
「落ち着きがなく小さなことで動き回り周りをハラハラさせる」と考えれば正に「おっちょこちょい」の由来といえますね。
おっちょこちょいは、1800年代後半より見られ、「出すぎ」とか「生意気」を意味する東京語と当時の辞典には紹介されているそうです。
主に東京で使われていた俗語が広まって今に至るようです。

「おっちょこちょい」=「出すぎ」「生意気」

これには納得できません。
まぁそれは現代の使い方ですしね。
だって「おっちょこちょい」の人は周りが見えなくなるほど必死なんです。
目立つのは仕方がありません。
もちろん本人も意図していません。
生意気なはずありません。
ただただ必死なのです。
それが可愛いんです。

投稿者 としお カテゴリ 状態 コメントなし

「姦しい(かしましい)」の由来

大いに耳障りである。やかましい。かしがましい。
これは「かしまいしい」の意味。他にもある。
騒然としている。馬鹿の寄り集まりで意味のない話に夢中。
実はこれらは建前語で、本音はというと・・・
女の煩いことに腹を立てたけど真ともに言えない男が考えた造語だというのです。
由来は、女は一人でいれば静かだが、二人三人と集まっておしゃべりに夢中になると、まことにやかましい。
そこから女三人集まった「姦」という字がつくられ、「かしまし」と読むようになったのだそう。
なんとも単純明快な由来メモ。

●使い方
「まだまだ話はつきないらしい。女三人寄ればかしましいだね。」

こんなことを書くと、女性から猛反発を食うかもしれません。
でも上記同様に、何も言い返せない男性の一人でありながら今日は冷静に分析いたします。
初対面の場合、男性はというとお互いに敬語、なんとなく職場の上司との距離感に似てませんか?
あえて打ち解けようとはしない、無理に仲良くしようとはしない。
「無難」そんな付き合いに私はたまに窮屈な感じを受けます。
一方、女性はというと、すぐに打ち解ける、身近な話で盛り上がる、更に群れを成すといったようにコミュニケーション能力に長けているような気がします。
道に迷いやすいのも女性ですが、道を気軽に聞けるのも女性そんな経験ありませんか?
男性はというと、常に社会に出て「狩猟」のように気を使いながらあっちにぺこぺこ、こっちにぺこぺこ、更に休日までぺこぺこするのはごめんだとばかりに、ごろごろしていたり、外出といえばパチンコか接待ゴルフ。
確かに普段のストレスを考えればわからなくもありません。
ところが!女性もストレスを感じているのです。
子供の面倒を見てくれない父親に、毎日単調な生活、仕事に行くに行けない理由、理想と現実のかけ離れた旦那の給料、おまけに姑の小言。
だから世の女性達は、子供が登園、登校した後に解消するのです。

一つは平日昼間の贅沢ランチ。
だいたい費用は1500円~ホテルなら3500円程度。
食べ放題にデザートと飲み放題でおそらく3時間は普通に滞在します。
そして大事なオプションが「他愛も無い話」つまり男性からみれば「くだらない話」「無駄話」しかしこれらが大変貴重な時間なのであります。
お互いの情報収集。これがないと女性は生き残れないのです。
そして話すことで女性のストレスはなくなるのです。
男性と女性が複数いる絵を想像してみてください。
女性は三人以上で群れている場面が容易に想像できますが、おかしなことに男性が同様にしている景色を想像すると、私はどうしても茶髪にドレスアップスーツのホストの客引きなんかを想像してしまうのです。
私だけでしょうか?
本来は男性は孤独な生き物で、女性は群れる生き物、これは生まれもった男女の特性の違いなのではないのでしょうか。

これを読んでいる男性は思い浮かべてください。
男同士で盛り上がる話・・・
思い出話が多くないですか?ゲームの話が多くないですか?子供の頃のアニメの話が多くないですか?
そう比べると、過去の思い出話に浸る男性と未来の生活、計画、現在の暮らしを語る女性どちらが「くだらない話」なのでしょうね。

最近はコミニケーションが薄れています。
緊急時に、困ったときに身近で助けてくれるのは、助け合えるのは実は「ご近所さん」です。
隣の塀が鬱陶しいとか、ゴミ捨てのマナーがなっていない。
日ごろからトラブルが絶えない現代です。
でももし、ガソリンがなくなって車が動かなくなったら会社員で食べ物がないとき隣が専業農家だったら、ボイラーが壊れたときお隣さんにボイラー技師がいたら…。
想像してみてください。
もちろん普段から仲が悪くても世界に誇れる日本人の「礼儀正しさ」はそれを克服するでしょう。
でもそういった緊急時にこそ発揮されるものこそが女性の「姦しさ」なのです。

三人の女性は対等に並んで困難を克服するでしょう。
三本の弓矢の毛利家とて、普段からいがみ合っていたらくだらない話ができるような仲でなかったのならその弓矢は折れやすいのです。

投稿者 としお カテゴリ 状態 コメントなし

「うんともすんとも」の由来

返事などが全くないこと。
打ち消し語を伴うことで「うんともすんとも言わない。」といった形で用いられます。

最近感じるのはメールですかね。
電話って返さないと失礼って気持ちが強いものですが、メールって後でもいいやとか、先に内容がわかることからそれはスルーとか、けっこう失礼なことが平気でできてしまいます。
怒らせてしまった相手、ずいぶん連絡を取っていない元同僚もしかしたら元交際相手、初動を間違えるとそれが永遠の別れになるかもしれません。
注意したいものですね。

それでも返信が、返答が、時には挨拶ですら返ってこないという事実はなかなか心を打ち抜いてきます。
あらぬ心配や、勝手な憶測を呼び込んでしまいます。
それでも私たちは誰かと一緒ならなお更その不安を打ち消したいからこう言ってみることでしょう。
「うんともすんともいわないよ。」
不思議なもので和むんです。なんででしょう。
きっとこの言葉の持つ不思議な魔力なのかもしれません。

■「うんともすんとも」の由来

江戸時代ポルトガル人が伝えた「ウン・スン・かるた」というゲームがあるそうです。
「ウン」は一の意味で、「スン」は最高の意味。
そうして「ウン・スン」という言葉が当時ブレイクしたそうです。
ところが!その後、天正かるたというものができると、「ウン・スン・かるた」は自然と廃れていきます。
そして誰も「ウン」とも「スン」とも言わなくなって・・・
全然返事をしないということを意味する言葉として用いられるようになったというお話。
なんだけど、実はこの二つのカルタの前後が逆という話もあるそう。
だから、実はカルタに夢中になって無口になることからできたのではないかという説もあるそうです。

更に、「うん」は承諾や鼻息の音、唸り声を表す擬音語。
「すん」は「うん」に語呂をあわせたもので、同じく鼻から出す音。
こういったことから、「うんともすんとも言わない」は息さえ発しない、つまり一言も言わないといった意味として成立したという説もあるそうです。
どちらにしてもこの鼻から空気が抜けるような、それと共に気も抜けるような安心感や安らぎを与えてくれるこの言葉はストレスを抱える現代の日本人にはなくてはならない言葉ではないでしょうか。

投稿者 としお カテゴリ 状態 コメントなし